漢詩研究《002》 『杜甫詩研究』のサイト

房カンと杜甫、朝廷の杜甫


・ 房カンに関する杜甫の詩
・ 奉謝口敕放三司推問状
・ 朝廷内での疎外感
・ 官を辞す と乾元元年華州試進士策問五首



潼關が敵の手に落ち、都から玄宗、粛宗、高級官僚らは西に逃げた。玄宗は、一定の顔ぶれがそろうまで咸陽で待った。
  玄宗皇帝が長安を出発したことは、多くの群臣が
知らなかった。 咸陽へ到着すると、高力士へ言った。

  「朝臣で、誰が来て、誰が来ないかな?」
  高力士は言った。
  「張均、張シ゛は陛下の恩を最も深く受けており、
公主まで娶っています。彼らは絶対真っ先にやってき
ます。 人々は皆、『房カンは宰相にするべきだ。』と言
っていましたが、陛下は用いませんでした。 その上、
安禄山が彼を推薦したことがあります。もしかしたら、
来ないかも知れません。」

  玄宗皇帝は「どうなるかは、まだ判らない。」と言
った。
  房カンが来ると、玄宗皇帝は張均兄弟の行方を尋
ねた。 すると、房カンは答えた。
    「臣と共に来ていたのですが、途中で留まって
進みませんでした。 その意向を見るに、腹中に一物
ありながら口にできないようでした。」

玄宗皇帝は高力士を顧みて言った。
  「朕はもとより判っていた。」
  即日、房カンを文部侍郎、同平章事とした。
  話は前後するが、張ジが寧親公主を娶った
時、禁中に宅を置くことを許され、 彼への寵愛は比
類なかった。陳希烈が退職を求めた時、玄宗皇帝は
張ジの宅へ御幸して、 誰を宰相にするべきか問う
た。そして、張ジが答える前に、玄宗皇帝はかつて言
ったのだった。

  「婿を愛さないはずがないぞ。」 
  張ジは階を降りて拝礼し、舞い踊った。しかし、
結局宰相にはしなかった。 それ以来、張ジは怏々
とするようになり、玄宗皇帝もまた、それを覚ったので
あった。

その頃、張均、張ジ兄弟及び姚祟の子尚書右
丞・姚奕、蕭祟の子の兵部侍郎・蕭華、 韋安石
の子の禮部侍郎・韋陟、太常少卿・韋斌は、皆、
才望で大官へ至ったのである。 玄宗皇帝はかつて
言った。

  「朕が宰相に命じるのは、かつての宰相の子弟
のみとしよう。」
  だが、玄宗皇帝は一人も宰相にしなかったのだ
った。
  裴冕、杜鴻漸らは皇太子・李亨へ牋を献上
し、馬蒐での命令を遵守して皇帝位へ即くよう請う
た。 李亨は許さない。