潼關が敵の手に落ち、都から玄宗、粛宗、高級官僚らは西に逃げた。玄宗は、一定の顔ぶれがそろうまで咸陽で待った。 | ||
玄宗皇帝が長安を出発したことは、多くの群臣が 知らなかった。 咸陽へ到着すると、高力士へ言った。 「朝臣で、誰が来て、誰が来ないかな?」 高力士は言った。 「張均、張シ゛は陛下の恩を最も深く受けており、 公主まで娶っています。彼らは絶対真っ先にやってき ます。 人々は皆、『房カンは宰相にするべきだ。』と言 っていましたが、陛下は用いませんでした。 その上、 安禄山が彼を推薦したことがあります。もしかしたら、 来ないかも知れません。」 玄宗皇帝は「どうなるかは、まだ判らない。」と言 った。 房カンが来ると、玄宗皇帝は張均兄弟の行方を尋 ねた。 すると、房カンは答えた。 |
「臣と共に来ていたのですが、途中で留まって 進みませんでした。 その意向を見るに、腹中に一物 ありながら口にできないようでした。」 玄宗皇帝は高力士を顧みて言った。 「朕はもとより判っていた。」 即日、房カンを文部侍郎、同平章事とした。 話は前後するが、張ジが寧親公主を娶った 時、禁中に宅を置くことを許され、 彼への寵愛は比 類なかった。陳希烈が退職を求めた時、玄宗皇帝は 張ジの宅へ御幸して、 誰を宰相にするべきか問う た。そして、張ジが答える前に、玄宗皇帝はかつて言 ったのだった。 「婿を愛さないはずがないぞ。」 張ジは階を降りて拝礼し、舞い踊った。しかし、 結局宰相にはしなかった。 それ以来、張ジは怏々 |
とするようになり、玄宗皇帝もまた、それを覚ったので あった。 その頃、張均、張ジ兄弟及び姚祟の子尚書右 丞・姚奕、蕭祟の子の兵部侍郎・蕭華、 韋安石 の子の禮部侍郎・韋陟、太常少卿・韋斌は、皆、 才望で大官へ至ったのである。 玄宗皇帝はかつて 言った。 「朕が宰相に命じるのは、かつての宰相の子弟 のみとしよう。」 だが、玄宗皇帝は一人も宰相にしなかったのだ った。 裴冕、杜鴻漸らは皇太子・李亨へ牋を献上 し、馬蒐での命令を遵守して皇帝位へ即くよう請う た。 李亨は許さない。 |