杜詩詳注 巻五 - 清・仇兆鰲

杜詩詳注   巻五




    杜甫詩研究
      杜 詩 詳 注  全五冊   清・仇兆鰲
      杜 少 陵 集  全二五巻
      分門集註杜工部  全二十五卷
      全唐詩 杜甫詩歌 巻216 ― 234  全1100首
      全唐文 杜甫詩文 巻359 ― 360  全29文 
         

杜詩詳注 巻五 - 清・仇兆鰲  杜少陵集 全二十五卷 については仇兆鰲「杜詩詳注」を基本テキストとして編纂されているのでこの杜詩詳注を参考にされたい。





杜詩詳注 仇兆鰲訳注

巻九
巻一〇
巻一一
巻一二
巻一三
巻一四
巻一五
巻一六
巻一七
巻一八
巻一九
巻二〇
巻二一
巻二二
巻二三
巻二四
巻二五




杜詩詳注 巻五


05 杜詩詳注と杜甫全詩訳注 巻五
《杜詩詳注》唐・杜甫著 清・仇兆鰲注 中華書局出版全五冊
《杜甫全詩訳注》下定正弘・松原明編 講談社学術出版  全四冊
《杜少陵詩集》 鈴木虎雄譯解    國民文庫刊行會   全四冊


 杜少陵集 杜詩詳注・巻五 作時(西
暦)
杜詩詳注(一) 杜少陵集〔一〕
巻ID  詩題
05-01  送率府程?事還?(卷五(一)三四三) 756年 343 401
05-02  鄭フ馬池臺喜遇鄭廣文同飲(卷五(一)三四五) 757年 345 404
05-03  自京竄至鳳翔喜達行在所三首其一(卷五(一)頁三四六 757年 346 407
05-04  自京竄至鳳翔喜達行在所三首其二(卷五(一)頁三四七) 757年 347  
05-05  自京竄至鳳翔喜達行在所三首其三(卷五(一)頁三四八) 757年 248  
05-06  送樊二十三侍御赴漢中判官(卷五(一)三五○) 757年 350 411
05-07  送韋十六評事充同谷防禦判官(卷五(一)三五四) 757年 354 416
05-08  述懷(卷五(一)三五八) 757年 358 422
05-09  得家書(卷五(一)三六○) 757年 360 426
05-10  送長孫九侍御赴武威判官(卷五(一)三六二) 757年 362 429
05-11  送從弟亞赴河西判官(卷五(一)三六四) 757年 364 432
05-12  送靈州李判官(卷五(一)三六九) 757年 369 438
05-13  奉送郭中丞兼太僕卿充隴右節度使三十韻(卷五(一)三六九) 757年 369 440
05-14  送楊六判官使西蕃(卷五(一)三七六) 757年 374 449
05-15  哭場孫侍御(卷五(一)三七八) 757年 378 452
05-16  奉贈嚴八閣老(卷五(一)三七九) 757年 379 454
05-17  月(卷五(一)三八一) 757年 381 455
05-18  留別賈嚴二閣老兩院補闕得雲字(一作兩院遺補諸公,得聞字)(卷五(一)三八二) 757年 382 456
05-19  晩行口號(卷五(一)三八三) 757年 383 458
05-20  獨酌成詩(卷五(一)三八四) 757年 384 459
05-21  徒歩歸行(卷五(一)三八五) 757年 385 460
05-22  九成宮(卷五(一)三八六) 757年 386 463
05-23  玉華宮(卷五(一)三八九) 757年 389 466
05-24  羌村三首其一(卷五(一)頁三九一) 757年 391 469
05-25  羌村三首其二(卷五(一)頁三九二) 757年 392  
05-26  羌村三首其三(卷五(一)頁三九三) 757年 393  
05-27 北 征(卷五(一)三九五)(參用《中國文學欣賞》注釋) 757年 395 475
05-28  行次昭陵(卷五(一)四○七) 757年 407 492
05-29  重經昭陵(卷五(一)四一二) 757年 412 496
05-30  彭衙行(卷五(一)四一三) 757年 413 498
05-31  喜聞官軍已臨賊境二十韻(卷五(一)四一七) 757年 417 504
05-32  收京三首其一(卷五(一)頁四二一) 757年 421 510
05-33  收京三首其二(卷五(一)頁四二二) 757年 422  
05-34  收京三首其三(卷五(一)頁四二三) 757年 423  
05-35  送鄭十八虔貶台州司?傷其臨老陷賊之故闕為面別情見於詩(卷五(一)四二四) 757年 424 514
05-36  臘日(卷五(一)四二六) 757年 426 516
05-37  奉和賈至舍人早朝大明宮(卷五(一)四二七) 758年 427 518


05 杜詩詳注と杜甫全詩訳注 巻五
《杜詩詳注》唐・杜甫著 清・仇兆鰲注 中華書局出版全五冊
《杜甫全詩訳注》下定正弘・松原明編 講談社学術出版  全四冊
《杜少陵詩集》 鈴木虎雄譯解    國民文庫刊行會  全四冊






杜詩詳注・杜少陵集 巻五作時(西暦)杜詩詳注(一)杜少陵集〔一〕
巻ID 詩題
105-01  送率府程録事還郷(卷五(一)三四三)756年343 401








No巻-ID  詩題   (引用・参考書籍・掲載・頁・記事)作年 詳注 少陵 訳注
205-02  鄭附馬池臺喜遇鄭廣文同飲(卷五(一)三四五)757年 345  404 472











305-03自京竄至鳳翔喜達行在所三首其一(卷五(一)頁三四六)757年346 407
405-04自京竄至鳳翔喜達行在所三首其二(卷五(一)頁三四七)757年347
505-05自京竄至鳳翔喜達行在所三首其三(卷五(一)頁三四八)757年348 248




























605-06  送樊二十三侍御赴漢中判官(卷五(一)三五○)757年350 411









705-07  送韋十六評事充同谷防禦判官(卷五(一)三五四)757年354 416









805-08 述懷(卷五(一)三五八)757年358 422487











905-09  得家書(卷五(一)三六○)757年360 426








1005-10  送長孫九侍御赴武威判官(卷五(一)三六二)757年362 429492










No巻-ID  詩題   (引用・参考書籍・掲載・頁・記事) 作年  詳注  少陵  訳注
1105-11  送從弟亞赴河西判官(卷五(一)三六四)    757年 364     432      495









No巻-ID  詩題   (引用・参考書籍・掲載・頁・記事)作年詳注少陵訳注
1205-12  送靈州李判官(卷五(一)三六九)757年369 438499










1305-13  奉送郭中丞兼太僕卿充隴右節度使三十韻(卷五(一)三六九)757年369 440











1405-14  送楊六判官使西蕃(卷五(一)三七六)757年374 449













1505-15 哭場孫侍御(卷五(一)三七八)757年378 452











1605-16  奉贈嚴八閣老(卷五(一)三七九)757年379 454










1705-17  月(卷五(一)三八一)757年381 455










1805-18  留別賈嚴二閣老兩院補闕得雲字(卷五(一)三八二)757年382 456












1905-19 晩行口號(卷五(一)三八三)757年383 458










2005-20 獨酌成詩(卷五(一)三八四)757年384 459











2105-20  獨酌成詩(卷五(一)三八四)757年384 459519











2105-21  徒?歸行(卷五(一)三八五)757年385 460520

















2205-22  九成宮(卷五(一)三八六)757年386 463




九成宮
フ州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。九成宮は鳳翔府麟遊県の西五里にある。山が九層あるので九成という。もと隋〔4〕の仁寿宮であり、初唐、唐の貞観年中に大宗によって修繕して避暑用離宮に供したものである。
九成は、宮殿周囲の垣根は千八百歩、太宗・高宗ここに臨幸している。
魏徴〔1〕の「九成宮醸泉銘序」に
「九成宮は、隋の仁寿宮なり。山に冠して殿を抗し、整を絶ちて池と為し、水に跨がりて橋を架し、巌を分かちて開を疎たせ、高閣回り建ち、長廊四に起り、棟宇膠葛し、台樹参差たり。仰ぎ視れば則ち迫運百尋、下に臨めば則ち崢エ千仞、珠壁交々映じ、金碧相い輝き、雲霞ヲ照灼し、日月を蔽廠ス。其の山を移し澗を過し、泰を窮め惨を極め人を以て欲を従にするを観れば、良に深く尤むるに足れり。」
とある。宮の侈麗であったことを想像することができる。宮の官制には、総監一人、副監一人、丞・簿・録事各々一人があった。また、碑文「九成宮醴泉銘」〔2〕が現存しており、欧陽詢〔3〕がそれを書いている。












2305-23  玉華宮(卷五(一)三八九)757年389 466

?州へ赴く途次其の地をすぎて作る。唐の太宗の647年貞観二十一年七月、玉華宮を作る、務めて倹制に従い、正殿のみは瓦をふき、其の余は茅をふかせた。その清涼なことは九成宮にまさると称せられる。宮の位置は下図の中央付近、長安の真北、40kmくらうにあった。杜甫は鳳翔を当初、徒歩で出発している。裏街道を通り、九成宮への導入道路を抜け。?州まで歩いている。ここで馬を借りて、銅川を抜けて、宜君にむかう。この詩は、この間のことをである。











2405-24羌村三首其一(卷五(一)頁三九一)757年391 469
2505-25羌村三首其二(卷五(一)頁三九二)757年392
2605-26羌村三首其三(卷五(一)頁三九三)757年393




杜甫は鳳翔からご州まで約200キロの道を、馬が与えられなかったために、途中で馬を借りるまで、徒歩で、閏八月の初めから半月ばかりかかって、何人かの下僕を供にして麟遊県―ご州−宜君県−フ州という経路で帰っていった。
「遠愧梁江總,還家尚K頭。」(遠い昔の人と比べると同じ家へ戻るとはいうものの、梁の江総がまだ黒い頭をしながら家へ還ったのに対して、わたしは年老いてしまったとはいえこの白髪頭で帰るというのはちょっと恥いいものである。)これは左拾位という天子の顔を拝顔できる朝廷の役人であること誇らしく思う裏返しの表現である。
フ州の羌村に到著し家族にやっとあえた。フ州は洛交県に治し、羌村は現在の延安市のこうがいである。
 「羌村(きょうそん)三首」の連作は、波乱の一年余をへて家族と再会した喜びが率直に詠われている。
至徳二載 757年 46歳



























No巻-ID  詩題   (引用・参考書籍・掲載・頁・記事)       作年  詳注  少陵  訳注
2705-27  北征(卷五(一)三九五)(參用《中國文學欣賞》注釋) 757年  395   475   534





757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、?州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、?州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。
叛乱軍に掴まって長安に送られ、そこから鳳翔の行在所に逃げ、一年たって、戻ってきた。妻も子供も憐れな恰好であった。
嚢中の帛がないことで寒がってふるえている。それでもおしろいや眉墨をいれた包みものをひろげたので痩せた妻もその顔面に光があるようになった。
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。
その頃、粛宗はウイグルに再度の援軍を要請した。五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。精鋭部隊であり、おかげで傾性は次第に回復してきた。しかし、世論はウイグルに援軍を出すことが高い代償を払うことになるのではないかと心配しているのだ。昨年都において慌てふためいて出奔の事変がおこったが、奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払われた。新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。











2805-28  行次昭陵(卷五(一)四○七)757年407 492












2905-29  重經昭陵(卷五(一)四一二)757年412 496












3005-30 彭衙行(卷五(一)四一三)757年413 498











3105-31  喜聞官軍已臨賊境二十韻(卷五(一)四一七)757年417 504










3205-32收京三首其一(卷五(一)頁四二一)757年421 510
3305-33收京三首其二(卷五(一)頁四二二)757年422
3405-34收京三首其三(卷五(一)頁四二三)757年423







收京三首 其一
仙仗離丹極,妖星照玉除。須為下殿走,不可好樓居。
暫屈汾陽駕,聊飛燕將書。依然七廟略,更與萬方初。
收京三首 其二
生意甘衰白,天涯正寂寥。忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
羽翼懷商老,文思憶帝堯。叨逢罪己日,沾灑望青霄。
收京三首 其三i
生意甘衰白,天涯正寂寥。忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
羽翼懷商老,文思憶帝堯。叨逢罪己日,沾灑望青霄。




























3505-35  送鄭十八虔貶台州司?傷其臨老陷賊之故闕為面別情見於詩(卷五(一)四二四)757年424 514













3605-36  臘日(卷五(一)四二六)757年426 516












3705-37  奉和賈至舍人早朝大明宮(卷五(一)四二七)758年427 518

杜甫・賈至・王維・岑參

758年春、賈至、王維、岑参、杜甫、四人の詩人が中書省と門下省に揃った。杜甫にとっては生涯で一番幸福な時期であった。王維は太子中允からすぐに中枢にもどり、中書舎人(正五品上)になっている。賈至が伝統的な七言律詩で宮廷風の詩『早朝大明宮呈両省僚友』を詠ったこれに対して、三人が唱和した




杜甫:
 奉和賈至舍人早朝大明宮  賈至舎人が早【つと】に大明宮に朝するを和し奉る
五夜漏聲催曉箭,九重春色醉仙桃。
旌旗日暖龍蛇動,宮殿風微燕雀高。
朝罷香煙攜滿袖,詩成珠玉在揮毫。
欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。 
五夜の漏声【ろうせい】暁箭【ぎょうせん】を催す、九重の春色仙桃【せんとう】酔う。
旌旗【せいき】日 暖【あたた】かにして竜蛇【りゅうだ】動き、宮殿 風 徴【び】にして燕雀【えんじゃく】高し。
朝【ちょう】罷【や】みて 香煙【こうえん】携【たずさ】えて 袖に満つ、詩成りて珠玉【しゅぎょく】揮毫【きごう】に在り。
世々 絲綸【しりん】掌【つかさど】るの美を知らんと欲せば、地上 今に於て鳳毛【ほうもう】有り。
  




早朝大明宮呈両省僚友 賈至
 銀燭朝熏紫陌長、 禁城春色暁蒼
蒼。
 千條弱柳垂青瑣、 百囀流鶯繞建
章。
 劍佩聲髄玉?歩、 衣冠身惹御爐香。
 共沐恩波鳳池上、 朝朝染翰侍君
王。
銀燭 朝に熏じて 紫陌 長し、禁城の春色 暁に蒼蒼たり。
 千条の弱柳は青瑣に垂れ、百囀の流鶯は建章を繞る。
 剣佩 声を玉?の歩に随い、衣冠 身には御炉の香を惹けり。
 共に恩波に沐す 鳳池の上とり、朝朝翰を染めて君王に侍す。
和賈舎人早朝大明宮之作  王維
 絳??人報暁籌、 尚衣方進翠雲裘。
 九天?闔開宮殿、 万国衣冠拝冕旒。
 日色纔臨仙掌動、 香煙欲傍袞龍
浮。
 朝罷須裁五色詔、 佩声帰到鳳池
頭。

絳?【こうさく】の鶏人 暁籌【ぎょうちゅう】を報じ、尚衣【しょうい】方【まさ】に進む 翠雲の裘【きゅう】。
九天の?闔(しょうこう) 宮殿を開き、万国の衣冠 冕旒【べんりゅう】を拝す
日色 纔【わず】かに仙掌【せんしょう】に臨んで動き、香煙 傍【そ】わんと欲して袞龍【こんりゅう】浮ぶ。
朝【ちょう】罷【や】んで須らく裁すべし 五色の詔、佩声【はいせい】は帰り到る 鳳池の頭【ひとり】。
奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參
 ?鳴紫陌曙光寒, 鶯囀皇州春色闌。
 金闕曉鐘開萬?, 玉階仙仗擁千官。
 花迎劍珮星初落, 柳拂旌旗露未
乾。
 獨有鳳凰池上客, 陽春一曲和皆
難。 

鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。
 金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。
 花は剣侃を迎えて星初めて落ち、柳は旋旗を払って露未だ乾かず。
 独り鳳皇池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。





























                 
巻一 736-748 巻二 744-753 巻三 753-755 巻四 755-757 巻五 757-758
巻六 758-759 巻七 759-759 巻八 759-759 巻九 759-761 巻十 761-762 巻十一 762-764
巻十二 763-764 巻十三764-765 巻十四764-766 巻十五766-766 巻十六766-766
巻十七 766-767 巻十八767-767 巻十九767-767 巻二十766-767 巻二一767-768
巻二二 768-769 巻二三768-770 巻二四742-754 巻二五743-753  Topページ