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元桔と杜甫 総括




杜甫と元結(舂陵行と同元使君舂陵行)



杜甫 766年、大暦元年、55?

○代宗 廣コ元年(763)元結舂陵行(并序)
  〃元結謝上表
  〃元結奏免科率状
○代宗 廣コ二年(764)元結賊退示官吏(并序)
○代宗 大?二年(766)杜甫同元使君舂陵行(有序)
○印はこのブログで訳注解説する。原文はすべてこの紙面に掲載
「舂陵行」は、元結(719−721) の代表作とされる有名な作品で、中唐元和時期の新楽府に重大な影響を与えたと目されている。早くは、元結と同時代の大詩人杜甫(712−770) が「舂陵行」に対して以下のような高い評価を与えている。

杜甫 《1939同元使君舂陵行》
序文
覧道州元使君結「舂陵行」兼「賊退後示官吏作」二首、誌之日、「當天子分憂之地、效漢官良吏之目。今盗賊末息、知民疾苦、得結輩十數公、落落然參錯天下為邦伯、萬物吐気、天下少安可待矣。不意復見比興體制、微婉頓挫之辭、感而有詩、搶矧ェ軸。」
(道川元使君結の「舂陵行」と「賊退きて後に官吏に示すの作」との二首を覧て、之を誌して日く、「天子分菱の地に常たり、漢官良吏の目に效ふ。今盗賊未だ息まず、民の疾苦を知るもの、舘のごとき輩十軟公を得て、落落隼として天下に蓼錯せしめ邦伯と為さば、萬物束を吐き、天下少や安からんこと待つべきか。意はざりき復た比興の懐剣、微椀頓挫の詞を見んとは。感じて詩有り、諸を巻軸に増す。」)
道州刺史元結の「舂陵行」に和してつくった詩。自分は元結の「舂陵行」と「賊退キシ後官吏二示ス作」との二首を見てそのことについてかきしるす。元結は地方長官として天子の憂いを分担する地位にあたり、むかし漢代の良更などの名目にならって行ないをした。今日盗賊はまだやまぬ、もし民のつらさをよく知っているものが元結のような役人を十数人も得てそれを天下のあちらこちらにまぜて散らばらして長官としておいたならば万物も生気を吐き、天下もすこしは安泰になるであろうことは期待し得る。それのみではない、彼がそのことを「比興体制」手法の詩をつくり、徴娩頓挫の詞を見せてくれたことは意外のことである。自分はそれでこのことについて感じてこの詩をつくって巻軸につけ加えた。そうしてこれを自分の知己によせるのである。必ずしも元結本人に寄せなくともいいつもりである。大暦二年?州にあっての作。

この評価によって、「舂陵行」は元結の作品の中で最も重要なものとなったと考えられる。
では、杜甫が言及した「比興體制」とはいったいどういう意味なのか。そして、「舂陵行」の「比興體制」は、中晩唐楽府、特に元和新楽府にどのような貢献をしたのだろうか。(杜甫 《巻19-39同元使君舂陵行》のブログで見てゆく。 )

元結 (723年−772年5月26日)中唐の詩人。次山,號漫郎、猗?子,河南の魯山の人。伝記は同時代の顔真卿の墓碑銘に詳しい。不安な社会相を描いた作品にすぐれ,〈系楽府(けいがふ)〉12首は,白居易らの新楽府運動の先駆となった。そのうち〈舂陵行(しようりようこう)〉はことに有名である。また華美な今体詩を排撃し,古詩を賞揚する目的で《篋中(きようちゆう)集》(760)を編纂した。《元次山文集》10巻が伝わる。
・天寶十二載(753年)進士。
・乾元元年(758年) 蘇源明、元結を帝に薦む。被任命為左金吾衛兵曹參軍、監察御史。
・上元元年(760)年元結《篋中集》を編纂す。
・上元二年(761年),任山南道節度使參謀,守泌陽,
・寶應元年(762年),唐代宗即位後,為著作郎。追贈其父元延祖為左贊善大夫。
・廣徳元年(763年),出任道州刺史

杜甫が元結を高く評価した《1939同元使君舂陵行》において、元使君結としている。道州刺史元結、使君は刺史の敬称。「新唐書」の元結伝を見てみると次の通り。(節録、元結、河南の人、後魏の常山王遵が十五代の孫なり。字は次山、年十七、学に志し元徳秀に事う。天宝十二載進士に挙げらる。粛宗の時、史思明河陽を攻む、蘇源明、元結を帝に薦む。元結、時議三篇を上る。のち諾官を経、泌陽に屯して十五城を全くせし功を以て監察御史裏行となる。又た山南東道の来?が府に参謀たり。代宗立つや辞して武昌の樊上に帰り、著作郎を授けらる。益ます書を著わす。元子・浪士・漫郎・?叟・漫叟等と号す。久しくして道州刺史を拝す。(刺史の時のことは「舂陵行」詩にみえる。)容管経略使に進む。母の喪にあい罷めて京都に還り卒す。年五十。礼部侍郎を贈らる。道州は湖南永州府に属する。
元結(723年−772年5月26日),字次山,號漫郎、猗?子,河南魯山人。唐朝進士、官員。
北魏常山王拓跋遵的十二代孫,尚書都官郎中、常山郡公元善?的玄孫,朝散大夫、褒信令、常山公元仁基的曾孫,霍王府參軍元利貞的孫子,魏成主簿、延唐丞元延祖的兒子。天寶十二載(753年)進士。安史之亂,史思明攻克洛陽,他到長安向唐肅宗上書。被任命為左金吾衛兵曹參軍、監察御史。761年,任山南道節度使參謀,守泌陽,保住了15座城。寶應元年(762年),唐代宗即位後,為著作郎。追贈其父元延祖為左贊善大夫。763年,出任道州刺史,減輕賦?,免除徭役。第二年,為容管經略使,幾個月?,安定了容管八州。逝世後,追贈禮部侍郎。
二子元以方、元以明。元結有《元次山集》。

舂陵行  元結

癸卯?,漫叟授道州刺史。道州舊四萬餘?,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦?。到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,皆曰:"失其限者,罪至貶削。"於戲!若悉應其命,則州縣破亂,刺史欲焉逃罪;若不應命,又即獲罪?,必不免也。吾將守官,靜以安人,待罪而已。此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。
遭亂髮盡白,轉衰病相嬰。沈綿盜賊際,狼狽江漢行。
歎時藥力薄,為客羸?成。吾人詩家秀,博采世上名。
粲粲元道州,前聖畏後生。觀乎舂陵作,?見俊哲情。
複覽賊退篇,結也實國驕B賈誼昔流慟,匡衡常引經。
道州憂黎庶,詞氣浩縱。兩章對秋月,一字偕華星。
致君唐虞際,純樸憶大庭。何時降璽書,用爾為丹青。
獄訟永衰息,豈唯偃甲兵。淒惻念誅求,薄斂近休明。
乃知正人意,不苟飛長纓。涼飆振南嶽,之子寵若驚。
色阻金印大,興含滄浪清。我多長卿病,日夕思朝廷。
肺枯?太甚,漂泊公孫城。呼兒具紙筆,隱幾臨軒楹。
作詩呻吟?,墨澹字欹傾。感彼危苦詞,庶幾知者聽。

謝上表  元結
臣某言:去年九月敕授道州刺史,屬西戎侵軼,至十二月,臣始於鄂州授敕牒,即日赴任。臣州先被西原賊屠陷,節度使已差官攝刺史,兼又聞奏。臣在道路待恩命者三月,臣以五月二十二日到州上訖。耆老見臣,俯伏而泣;官吏見臣,已無菜色。城池井邑,但生荒草;登高極望,不見人煙。嶺南數州,與臣接近,餘寇蟻聚,尚未歸降。臣見招輯流亡,率勸貧弱,保守城邑,?種山林,冀望秋後,少可全活。臣愚以為今日刺史,若無武略以制暴亂,若無文才以救疲弊,若不清廉以身率下,若不變通以救時須,一州之人不叛,則亂將作矣。豈止一州者乎?臣料今日州縣,堪??者無幾,已破敗者實多;百姓戀墳墓者蓋少,思流亡者乃?。則刺史宜精選謹擇,以委任之,固不可拘限官次,得之貨賄,出之權門者也。凡授刺史,特望陛下一年問其流亡歸複幾何;田疇墾辟幾何,二年問畜養比初年幾倍;可?比初年幾倍,三年計其功過,必行賞罰,則人皆不敢冀望僥幸,苟有所求。臣實孱弱,辱陛下符節。陛下必當謹擇,臣固宜廢歸山野,供給井?。臣不任懇款之至,謹遣某官奉表陳謝以聞。

奏免科率状  元結
〈當州準敕及租庸等使?率錢物都計一十三萬六千三百八十八貫八百文〉〈一十三萬二千四百八十貫九百文嶺南西原賊未破州已前〉〈三千九百七貫九百文賊退後?率〉
以前件如前。臣自到州,見租庸等諸使文牒,令?前件錢物送納。臣當州被西原賊屠陷,賊停留一月餘日,焚燒糧儲屋宅,俘掠百姓男女,驅殺牛馬老少,一州幾盡。賊散後,百姓歸複,十不存一,資?皆無,人心嗷嗷,未有安者。若依諸使期限,臣恐坐見亂亡,今來未敢?率,伏待進止。又嶺南諸州,寇盜未盡,臣州是嶺北界,守捉處多,若臣州不安,則湖南皆亂。伏望天恩,自州未破以前,百姓久負租?,及租庸等使所有?率,和市雜物,一切放免。自州破以後,除正租、正庸及準格式合進奉?納者,請據見在??送,其餘科率,並請放免。容其見在百姓?業稍成,逃亡歸複,似可存活,即請依常例處分。伏願陛下以臣所奏下議有司,苟若臣所見愚僻,不合時政,幹亂紀度,事??妄,忝官屍祿,欺上罔下,是臣之罪,合正典刑。謹?奏聞。

元結〈賊退示官吏(并序)〉(搜韻)

癸卯?,西原賊入道州,焚燒(一本無焚燒二字)殺掠,幾盡而去。明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦?斂,故作詩一篇以示官吏。
昔?逢太平,山林二十年。泉源在庭?,洞壑當門前。
井?有常期,日晏猶得眠。忽然遭世變,數?親戎旃。
今來典斯郡,山夷又紛然。城小賊不屠,人貧傷可憐。
是以陷鄰境,此州獨見全。使臣將王命,豈不如賊焉。
今彼?斂者,迫之如火煎。誰能?人命,以作時世賢。
思欲委符節,引竿自刺船。將家就魚麥,歸老江湖邊。

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舂陵行  元結


舂陵行  元結
(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)
#1序 -1
癸卯?,漫叟授道州刺史。
代宗の広徳元年契卯の歳に漫叟(元結の号)は道州刺史を授けられた。
道州舊四萬餘?,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦?。
道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。
到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,
自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。
皆曰:"失其限者,罪至貶削。"
上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。
#2序 -2
於戲!若悉應其命,則州縣破亂,刺史欲焉逃罪;若不應命,又即獲罪?,必不免也。吾將守官,靜以安人,待罪而已。此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。
#1
(癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。道州は舊四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は賦税に勝へず。官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。
#2
於戲、若し悉く其の命に應ずれば、則ち州縣乱す。刺史焉くにか罪を逃れんと欲す。若し命に應ぜずんば、又た即ち罪戻を獲んこと、必ず免れざるなり。吾将に官を守り、静にして以て人を安んじ、罪を待つのみ。此の州は是れ舂陵の故地なり、故に「舂陵行」を作りて以て下情を達す。)


#3《舂陵行》  元結
軍國多所需,切責在有司。
有司臨郡縣,刑法競欲施。
供給豈不憂?征斂又可悲。
州小經亂亡,遺人實困疲。
#4
大?無十家,大族命單贏。
朝餐是草根,暮食仍木皮。
出言氣欲?,意速行?遲。
追呼尚不忍,況乃鞭撲之!
郵亭傳急符,來往跡相追。
#5
更無ェ大恩,但有迫促期。
欲令鬻兒女,言發恐亂隨。
悉使索其家,而又無生資。
聽彼道路言,怨傷誰複知!
#6
"去冬山賊來,殺奪幾無遺。
所願見王官,撫養以惠慈。
奈何重驅逐,不使存活為!"
安人天子命,符節我所持。
州縣忽亂亡,得罪複是誰?
#7
逋緩違詔令,蒙責固其宜。
前賢重守分,惡以禍福移。
亦雲貴守官,不愛能適時。
顧惟孱弱者,正直當不虧。
何人采國風,吾欲獻此辭。


『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(本文) 元結
舂陵行  
#1序 -1
癸卯?,漫叟授道州刺史。
道州舊四萬餘?,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦?。
到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,
皆曰:"失其限者,罪至貶削。"

(下し文) #1
癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。
道州は舊四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は賦税に勝へず。
官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。
皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。

(現代語訳)
(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)
代宗の広徳元年契卯の歳に漫叟(元結の号)は道州刺史を授けられた。
道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。
自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。
上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。


(訳注)
舂陵行  元結
(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)#1序 -1
〇舂陵 道州の意に用いる。舂陵(n-22)は漢代の地名で棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵のその故城があったことであるが漢のとき、長抄の定王の子の異というものがここに封ぜられた。元結の「比興体制」手法で今の永州府寧遠県西北(下図d-3)にあるをいう。 

癸卯?,漫叟授道州刺史。
代宗の広徳元年契卯の歳に漫叟(元結の号)は道州刺史を授けられた。
○癸卯歳 代宗の廣コ元年(763)をいう。
○漫叟 元結の号称。
○諸使 刺史の上司である、節度使その他。

道州舊四萬餘?,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦?。
道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千に足りなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。
○この四句は、騒乱に倚り、住民が逃散したことを言う。戦になれば、危険を感じて、家財道具、一切、扉の類まで、台八車に満載にして持って逃げるので、村は空っぽになる。大抵は、山に逃げる。

到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,
自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。
○徴求符牒 人民から税金を徴収する切手やかきつけ。

皆曰:"失其限者,罪至貶削。"
上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」というたのである。
○失其限 徴税の期限をあやまるもの、日限までに税をとりたて得ぬもの。
○貶削 官職をおとしまたは削り去る。




















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舂陵行  元結
(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)
#1序 -1
癸卯?,漫叟授道州刺史。
代宗の広徳元年契卯の歳に漫叟(元結の号)は道州刺史を授けられた。
道州舊四萬餘?,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦?。
道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。
到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,
自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。
皆曰:"失其限者,罪至貶削。"
上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。
#2序 -2
於戲!若悉應其命,則州縣破亂,
ああ、もしみんなこの命令どおりにしたらすなわち、州や県は乱破してしまうであろう。
刺史欲焉逃罪;
そうなったら刺史はどこに罪をのがれるか、のがれ場所がないではないか。
若不應命,又即獲罪?,必不免也。
またもし命令に応ぜねとしたらまたすぐに罪科を得る、きっとそれはのがれられぬことである。
吾將守官,靜以安人,待罪而已。
どうせそうなのなら、自分としては官職を守って、安静を以て人民をおちつかせて、自己の罰せられるのを待とうとするだけのことだ。
此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。
この道州はむかしの舂陵の地だ、それで「舂陵行」という詩をつくって下民の情を上たるものに通達するのである。
#1
(癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。道州は舊四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は賦税に勝へず。官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。
#2
於戲、若し悉く其の命に應ずれば、則ち州縣乱す。
刺史焉くにか罪を逃れんと欲す。
若し命に應ぜずんば、又た即ち罪戻を獲んこと、必ず免れざるなり。
吾将に官を守り、静にして以て人を安んじ、罪を待つのみ。此の州は是れ舂陵の故地なり、故に「舂陵行」を作りて以て下情を達す。)


元結『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#2序 -2
於戲!若悉應其命,則州縣破亂,刺史欲焉逃罪;若不應命,又即獲罪?,必不免也。吾將守官,靜以安人,待罪而已。此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。

(下し文)
於戲、若し悉く其の命に應ずれば、則ち州縣乱す。
刺史焉くにか罪を逃れんと欲す。
若し命に應ぜずんば、又た即ち罪戻を獲んこと、必ず免れざるなり。
吾将に官を守り、静にして以て人を安んじ、罪を待つのみ。
此の州は是れ舂陵の故地なり、故に「舂陵行」を作りて以て下情を達す。

(現代語訳)
ああ、もしみんなこの命令どおりにしたらすなわち、州や県は乱破してしまうであろう。
そうなったら刺史はどこに罪をのがれるか、のがれ場所がないではないか。
またもし命令に応ぜねとしたらまたすぐに罪科を得る、きっとそれはのがれられぬことである。
どうせそうなのなら、自分としては官職を守って、安静を以て人民をおちつかせて、自己の罰せられるのを待とうとするだけのことだ。
この道州はむかしの舂陵の地だ、それで「舂陵行」という詩をつくって下民の情を上たるものに通達するのである。


(訳注) #2序 -2
舂陵行  元結
(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)#1序 -1
〇舂陵 道州の意に用いる。舂陵は漢代の地名で棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵のその故城があったことであるが漢のとき、長抄の定王の子の異というものがここに封ぜられた。元結の「比興体制」手法で今の永州府寧遠県西北にあるをいう。 

於戲!若悉應其命,則州縣破亂,
ああ、もしみんなこの命令どおりにしたらすなわち、州や県は乱破してしまうであろう。
○破亂 乱破してしまう。

刺史欲焉逃罪;
そうなったら刺史はどこに罪をのがれるか、のがれ場所がないではないか。
○刺史 1 古代中国の官名。漢代は郡国の監察官。隋・唐代では州の長官。宋代以後廃止された。2 国守(こくしゅ)の唐名。

若不應命,又即獲罪?,必不免也。
またもし命令に応ぜねとしたらまたすぐに罪科を得る、きっとそれはのがれられぬことである。

吾將守官,靜以安人,待罪而已。
どうせそうなのなら、自分としては官職を守って、安静を以て人民をおちつかせて、自己の罰せられるのを待とうとするだけのことだ。
○守官 罪科を得ることを覚悟して自分の官職を守ってしごとする。

此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。
この道州はむかしの舂陵の地だ、それで「舂陵行」という詩をつくって下民の情を上たるものに通達するのである。
○達下情 下たる人民の情を上に通達すること。歌による訴えが天子に対して、下民に対しても説得力を持つことはこの時代にも承知されていたことは、「資治通鑑」等にみえる。
「時命三百里?刺史、縣令各帥所部音樂集於樓下,各較勝負。懷州刺史以車載樂工數百,皆衣文?,服箱之牛皆為虎豹犀象之?。魯山令元コ秀惟遣樂工數人,連袂歌于?。上曰:「懷州之人,其塗炭乎!」立以刺史為散官。コ秀性介潔質樸,士大夫皆服其高」これは開元二十三年(733) の春、正月乙亥、玄宗が三百里内の県令や刺史にその地の歌をうたわせ、勝負を競わせた時の旨である。その時、懐州刺史は多くの楽人を連ねて演じさせたが、元徳秀は数人の楽人に「于?」を歌わせた。玄宗はそれを聴くと、懐州の人は塗炭の苦しみをなめているのか、と嘆じ、刺史を散官とした。このことによって元徳秀はますます名を知られることになった、というものである。
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#1序 -1
癸卯?,漫叟授道州刺史。
代宗の広徳元年契卯の歳に漫叟(元結の号)は道州刺史を授けられた。
道州舊四萬餘?,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦?。
道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。
到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,
自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。
皆曰:"失其限者,罪至貶削。"
上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。
#2序 -2
於戲!若悉應其命,則州縣破亂,
ああ、もしみんなこの命令どおりにしたらすなわち、州や県は乱破してしまうであろう。
刺史欲焉逃罪;
そうなったら刺史はどこに罪をのがれるか、のがれ場所がないではないか。
若不應命,又即獲罪?,必不免也。
またもし命令に応ぜねとしたらまたすぐに罪科を得る、きっとそれはのがれられぬことである。
吾將守官,靜以安人,待罪而已。
どうせそうなのなら、自分としては官職を守って、安静を以て人民をおちつかせて、自己の罰せられるのを待とうとするだけのことだ。
此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。
この道州はむかしの舂陵の地だ、それで「舂陵行」という詩をつくって下民の情を上たるものに通達するのである。
#1
(癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。道州は舊四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は賦税に勝へず。官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。
#2
於戲、若し悉く其の命に應ずれば、則ち州縣乱す。
刺史焉くにか罪を逃れんと欲す。
若し命に應ぜずんば、又た即ち罪戻を獲んこと、必ず免れざるなり。
吾将に官を守り、静にして以て人を安んじ、罪を待つのみ。此の州は是れ舂陵の故地なり、故に「舂陵行」を作りて以て下情を達す。)


#3《舂陵行》  元結
軍國多所需,切責在有司。
軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。
有司臨郡縣,刑法競欲施。
かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。
供給豈不憂?征斂又可悲。
こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。
州小經亂亡,遺人實困疲。
着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過にもんだいがあり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。
《舂陵行》
軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。
有司 郡県に臨む、刑法競〔竟〕いて施さんと欲す。
供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。
州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。
#4
大?無十家,大族命單贏。
朝餐是草根,暮食仍木皮。
出言氣欲?,意速行?遲。
追呼尚不忍,況乃鞭撲之!
郵亭傳急符,來往跡相追。
#5
更無ェ大恩,但有迫促期。
欲令鬻兒女,言發恐亂隨。
悉使索其家,而又無生資。
聽彼道路言,怨傷誰複知!
#6
"去冬山賊來,殺奪幾無遺。
所願見王官,撫養以惠慈。
奈何重驅逐,不使存活為!"
安人天子命,符節我所持。
州縣忽亂亡,得罪複是誰?
#7
逋緩違詔令,蒙責固其宜。
前賢重守分,惡以禍福移。
亦雲貴守官,不愛能適時。
顧惟孱弱者,正直當不虧。
何人采國風,吾欲獻此辭。


元結『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#3《舂陵行》  元結
軍國多所需,切責在有司。
有司臨郡縣,刑法競欲施。
供給豈不憂?征斂又可悲。
州小經亂亡,遺人實困疲。

(下し文)
《舂陵行》
軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。
有司 郡県に臨む、刑法 競〔竟〕いて施さんと欲す。
供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。
州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。

(現代語訳)
軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。
かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。
こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。
着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過にもんだいがあり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。

(訳注)
#3舂陵行  元結
(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)#3(本文)-1
〇舂陵 道州の意に用いる。舂陵は漢代の地名で棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵のその故城があったことであるが漢のとき、長抄の定王の子の異というものがここに封ぜられた。元結の「比興体制」手法で今の永州府寧遠県西北にあるをいう。 

「舂陵行」は、元結が広徳二年(七六四) に刺史としてい道州に着任した時に書かれた作品である。序文と本文は道川の悲惨な状況を具体的に述べてから、官吏として「顧みるに惟れ屏弱の者、正直歯に鷹かざるべし」という決意を明示し、更に、この詩を適して「以達下情」、つまり道川の州民の願いを朝廷や君主に伝えようとする意欲をも表明している。
《舂陵行》以達下情。 下たる人民の情を上に通達すること。歌による訴えが天子に対して、下民に対しても説得力を持つことはこの時代にも承知されていたことは、「資治通鑑」等にみえる。
「時命三百里?刺史、縣令各帥所部音樂集於樓下,各較勝負。懷州刺史以車載樂工數百,皆衣文?,服箱之牛皆為虎豹犀象之?。魯山令元コ秀惟遣樂工數人,連袂歌于?。上曰:「懷州之人,其塗炭乎!」立以刺史為散官。コ秀性介潔質樸,士大夫皆服其高」これは開元二十三年(733) の春、正月乙亥、玄宗が三百里内の県令や刺史にその地の歌をうたわせ、勝負を競わせた時の旨である。その時、懐州刺史は多くの楽人を連ねて演じさせたが、元徳秀は数人の楽人に「于?」を歌わせた。玄宗はそれを聴くと、懐州の人は塗炭の苦しみをなめているのか、と嘆じ、刺史を散官とした。このことによって元徳秀はますます名を知られることになった、というものである。

軍國多所需,切責在有司。
軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。
○軍国 軍事の際の国。
○須 需用物資の調達。
○切責 徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされる。
○有司 かかりの役。

有司臨郡縣,刑法競欲施。
かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。

供給豈不憂?征斂又可悲。
こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。
○供給 軍需の物をそなえる。
○征斂 税金をとりたてること。

州小經亂亡,遺人實困疲。
着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過にもんだいがあり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。



?




及地點:棗陽 (山南東道隨州 棗陽) 別名:舂陵      
道州 (江南西道 道州 道州)        
衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳  
白帝城 (山南東道 ?州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城  


#3《舂陵行》  元結
軍國多所需,切責在有司。
軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。
有司臨郡縣,刑法競欲施。
かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。
供給豈不憂?征斂又可悲。
こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。
州小經亂亡,遺人實困疲。
着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過に問題があり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。
《舂陵行》
軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。
有司 郡県に臨む、刑法競〔竟〕いて施さんと欲す。
供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。
州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。
#4
大?無十家,大族命單贏。
それに、大きな郷でもほんの十軒あるかなしであり、大家族であったものでも、今は人少なになってしまって、命は短命、薄命であり、つかれはてた運命の家となっているのである。
朝餐是草根,暮食仍木皮。
朝のたべものは草の根、夕べのたべものは樹の皮である。
出言氣欲?,意速行?遲。
だから、言葉をだすことさえ息気が絶えそうで、気だけは、芳養っているが、歩きかたはおそい。
追呼尚不忍,況乃鞭撲之!
こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。
郵亭傳急符,來往跡相追。
上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。
#4
大郷にも十家無し、大族も命単贏なり。
朝餐は是れ草根、暮食は乃ち木皮。
言を出せば気絶えんと欲す、意 速かなるも 行歩 遅し。
追呼するだも 尚お 忍びず、況や乃ち 之を鞭撲するをや。
郵亭 急符を伝う、来往 跡 相追う。
#5
更無ェ大恩,但有迫促期。
欲令鬻兒女,言發恐亂隨。
悉使索其家,而又無生資。
聽彼道路言,怨傷誰複知!
#6
"去冬山賊來,殺奪幾無遺。
所願見王官,撫養以惠慈。
奈何重驅逐,不使存活為!"
安人天子命,符節我所持。
州縣忽亂亡,得罪複是誰?
#7
逋緩違詔令,蒙責固其宜。
前賢重守分,惡以禍福移。
亦雲貴守官,不愛能適時。
顧惟孱弱者,正直當不虧。
何人采國風,吾欲獻此辭。


元結『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#4
大?無十家,大族命單贏。
朝餐是草根,暮食仍木皮。
出言氣欲?,意速行?遲。
追呼尚不忍,況乃鞭撲之!
郵亭傳急符,來往跡相追。

(下し文) #4
大郷にも十家無し、大族も命単贏なり。
朝餐は是れ草根、暮食は乃ち木皮。
言を出せば気絶えんと欲す、意 速かなるも 行歩 遅し。
追呼するだも 尚お 忍びず、況や乃ち 之を鞭撲するをや。
郵亭 急符を伝う、来往 跡 相追う。

(現代語訳)
それに、大きな郷でもほんの十軒あるかなしであり、大家族であったものでも、今は人少なになってしまって、命は短命、薄命であり、つかれはてた運命の家となっているのである。
朝のたべものは草の根、夕べのたべものは樹の皮である。
だから、言葉をだすことさえ息気が絶えそうで、気だけは、芳養っているが、歩きかたはおそい。
こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。
上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。

(訳注) #4
「舂陵行」は、元結が広徳二年(七六四) に刺史としてい道州に着任した時に書かれた作品である。序文と本文は道川の悲惨な状況を具体的に述べてから、官吏として「顧みるに惟れ屏弱の者、正直歯に鷹かざるべし」という決意を明示し、更に、この詩を適して「以達下情」、つまり道川の州民の願いを朝廷や君主に伝えようとする意欲をも表明している。

大?無十家,大族命單贏。
それに、大きな郷でもほんの十軒あるかなしであり、大家族であったものでも、今は人少なになってしまって、命は短命、薄命であり、つかれはてた運命の家となっているのである。
○命單贏 命は生命、単は単薄、人数のすくないこと、贏はつかれやせる。

朝餐是草根,暮食仍木皮。
朝のたべものは草の根、夕べのたべものは樹の皮である。

出言氣欲?,意速行?遲。
だから、言葉をだすことさえ息気が絶えそうで、気だけは、芳養っているが、歩きかたはおそい。
○出言 ものをいう。

追呼尚不忍,況乃鞭撲之!
こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。

郵亭傳急符,來往跡相追。
上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。
○郵亭 駅伝制の駅亭のこと。交通については、すでに整備されていた馳道を利用し、さらなる補修拡張を行った。そのため、長安を中心とした各地方につながる道路、水路が整備されていった。道路には、30里(約17km)ごとに駅站(駅館、公営の宿)が置かれ、公文書を運ぶ政府の使者や地方へ赴任し、帰ってくる官僚が利用した。駅站の近くには、往々において民間の宿が存在した。宿の名称の最後には、『駅』、『館』、『店』とつくことが多かった。唐全土には1,639もの駅站が存在し、水駅が260、水陸駅が86か所設置されていた。駅站を利用できる政府関係者は、食糧、運送、宿泊が無料であった。また、道路の五里ごとに『里隔柱』という標識が置かれ、十里ごとに別の標識を立てられた。
隋代からの駅伝制度を発達させ、駅站は整備され、役人の宿泊や馬の確保に使われた。一等の駅は馬75頭が置かれていた。関津制度によって、水陸の要所に関所が置かれ、旅人や荷を検分して、商人から税を徴収した。また、商業のための往来するために、商人は「過所」という通行証明書を、中央では尚書省、地方では州で発行してもらい、所持する必要があった。紛失した場合、審査の上で再発行となった。過所に許された経路を通れば、遠距離でも行くことができたが、不正に通関しようとしたものは罰を受けた。また、安史の乱以降は、人の動きが活発化して、藩鎮の州や県で「公験」という通行証明書も発行された。唐代の関津制度は、賦役逃れや誘拐、外敵の潜入を防ぐために厳格であった。唐代後半には、軍事伝達が余りに頻繁となり、駅站が増大して、駅伝制度は崩れていった。


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杜甫詩1500-917-関連-1-#5-1384/2500
及地點:棗陽 (山南東道隨州 棗陽) 別名:舂陵      
道州 (江南西道 道州 道州)        
衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳  
白帝城 (山南東道 ?州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城  


#3《舂陵行》  元結
軍國多所需,切責在有司。
軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。
有司臨郡縣,刑法競欲施。
かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。
供給豈不憂?征斂又可悲。
こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。
州小經亂亡,遺人實困疲。
着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過に問題があり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。
《舂陵行》
軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。
有司 郡県に臨む、刑法競〔竟〕いて施さんと欲す。
供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。
州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。
#4
大?無十家,大族命單贏。
それに、大きな郷でもほんの十軒あるかなしであり、大家族であったものでも、今は人少なになってしまって、命は短命、薄命であり、つかれはてた運命の家となっているのである。
朝餐是草根,暮食仍木皮。
朝のたべものは草の根、夕べのたべものは樹の皮である。
出言氣欲?,意速行?遲。
だから、言葉をだすことさえ息気が絶えそうで、気だけは、芳養っているが、歩きかたはおそい。
追呼尚不忍,況乃鞭撲之!
こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。
郵亭傳急符,來往跡相追。
上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。
#4
大郷にも十家無し、大族も命単贏なり。
朝餐は是れ草根、暮食は乃ち木皮。
言を出せば気絶えんと欲す、意 速かなるも 行歩 遅し。
追呼するだも 尚お 忍びず、況や乃ち 之を鞭撲するをや。
郵亭 急符を伝う、来往 跡 相追う。
#5
更無ェ大恩,但有迫促期。
すこしも民に対して寛大にするという恩はなく、ただただいつまでに日が迫っているから早くせよと催促するだけである。
欲令鬻兒女,言發恐亂隨。
甚しきは銭がなければ命令で児とか娘女でも売りとばさせようというほどの意気ごみをしめせというけれど、こんなことをわたしの口から言葉にだしたら最後すぐにも騒乱がおこるにきまっている。
悉使索其家,而又無生資。
いくら民家のあらゆるものをさがして一切を供出させつくさせたところで、それでは、また生きてゆく基がなくなるのである。
聽彼道路言,怨傷誰複知!
こんな時、人民たちが道路でいかなることを言うていることを聞いてみると、「(税金を払えないから」、罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている」と。ぬ。
それをきくとどんなに彼らが怨み傷んでいるか、その実情を知るものはあるまい。
更に寛大の恩無く、但だ迫促の期有り。
命じて児女を鬻がしめんと欲す、言発せば恐らくは乱随わん。
悉く其の家を索めしむるも、而も又た生資無し。
彼の道路の言を聴くに、怨傷 誰か復た知らん。
#6
"去冬山賊來,殺奪幾無遺。
所願見王官,撫養以惠慈。
奈何重驅逐,不使存活為!"
安人天子命,符節我所持。
州縣忽亂亡,得罪複是誰?
#7
逋緩違詔令,蒙責固其宜。
前賢重守分,惡以禍福移。
亦雲貴守官,不愛能適時。
顧惟孱弱者,正直當不虧。
何人采國風,吾欲獻此辭。


元結『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#5
更無ェ大恩,但有迫促期。
欲令鬻兒女,言發恐亂隨。
悉使索其家,而又無生資。
聽彼道路言,怨傷誰複知!

(下し文)
更に寛大の恩無く、但だ迫促の期有り。
命じて児女を鬻がしめんと欲す、言発せば恐らくは乱随わん。
悉く其の家を索めしむるも、而も又た生資無し。
彼の道路の言を聴くに、怨傷 誰か復た知らん。

(現代語訳)
すこしも民に対して寛大にするという恩はなく、ただただいつまでに日が迫っているから早くせよと催促するだけである。
甚しきは銭がなければ命令で児とか娘女でも売りとばさせようというほどの意気ごみをしめせというけれど、こんなことをわたしの口から言葉にだしたら最後すぐにも騒乱がおこるにきまっている。
いくら民家のあらゆるものをさがして一切を供出させつくさせたところで、それでは、また生きてゆく基がなくなるのである。
こんな時、人民たちが道路でいかなることを言うていることを聞いてみると、「(税金を払えないから」、罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている」と。ぬ。
それをきくとどんなに彼らが怨み傷んでいるか、その実情を知るものはあるまい。

(訳注) #5
「舂陵行」は、元結が広徳二年(七六四) に刺史としてい道州に着任した時に書かれた作品である。序文と本文は道川の悲惨な状況を具体的に述べてから、官吏として「顧みるに惟れ屏弱の者、正直歯に鷹かざるべし」という決意を明示し、更に、この詩を適して「以達下情」、つまり道川の州民の願いを朝廷や君主に伝えようとする意欲をも表明している。

更無ェ大恩,但有迫促期。
すこしも民に対して寛大にするという恩はなく、ただただいつまでに日が迫っているから早くせよと催促するだけである。
○追促 せきたててさいそくする。

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。
甚しきは銭がなければ命令で児とか娘女でも売りとばさせようというほどの意気ごみをしめせというけれど、こんなことをわたしの口から言葉にだしたら最後すぐにも騒乱がおこるにきまっている。
○鬻 【販ぐ】《古くは「ひさく」》売る。商いをする。
○言発 言とは刺史が上司からの命令のことをロにだすことをいう。
○乱随 人民の騒乱がそれについておこる。

悉使索其家,而又無生資。
いくら民家のあらゆるものをさがして一切を供出させつくさせたところで、それでは、また生きてゆく基がなくなるのである。
○生資 いきるもとで。

聽彼道路言,怨傷誰複知!
こんな時、人民たちが道路でいかなることを言うていることを聞いてみると、「(税金を払えないから」、罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている」と。ぬ。
それをきくとどんなに彼らが怨み傷んでいるか、その実情を知るものはあるまい。
○道路言 人民がみちでいうこと。
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杜甫詩1500-917-関連-1-#6-1385/2500
及地點:棗陽 (山南東道隨州 棗陽) 別名:舂陵      
道州 (江南西道 道州 道州)        
衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳  
白帝城 (山南東道 ?州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城  


#3《舂陵行》  元結
軍國多所需,切責在有司。
軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。
有司臨郡縣,刑法競欲施。
かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。
供給豈不憂?征斂又可悲。
こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。
州小經亂亡,遺人實困疲。
着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過に問題があり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。
《舂陵行》
軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。
有司 郡県に臨む、刑法競〔竟〕いて施さんと欲す。
供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。
州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。
#4
大?無十家,大族命單贏。
それに、大きな郷でもほんの十軒あるかなしであり、大家族であったものでも、今は人少なになってしまって、命は短命、薄命であり、つかれはてた運命の家となっているのである。
朝餐是草根,暮食仍木皮。
朝のたべものは草の根、夕べのたべものは樹の皮である。
出言氣欲?,意速行?遲。
だから、言葉をだすことさえ息気が絶えそうで、気だけは、芳養っているが、歩きかたはおそい。
追呼尚不忍,況乃鞭撲之!
こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。
郵亭傳急符,來往跡相追。
上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。
#4
大郷にも十家無し、大族も命単贏なり。
朝餐は是れ草根、暮食は乃ち木皮。
言を出せば気絶えんと欲す、意 速かなるも 行歩 遅し。
追呼するだも 尚お 忍びず、況や乃ち 之を鞭撲するをや。
郵亭 急符を伝う、来往 跡 相追う。
#5
更無ェ大恩,但有迫促期。
すこしも民に対して寛大にするという恩はなく、ただただいつまでに日が迫っているから早くせよと催促するだけである。
欲令鬻兒女,言發恐亂隨。
甚しきは銭がなければ命令で児とか娘女でも売りとばさせようというほどの意気ごみをしめせというけれど、こんなことをわたしの口から言葉にだしたら最後すぐにも騒乱がおこるにきまっている。
悉使索其家,而又無生資。
いくら民家のあらゆるものをさがして一切を供出させつくさせたところで、それでは、また生きてゆく基がなくなるのである。
聽彼道路言,怨傷誰複知!
こんな時、人民たちが道路でいかなることを言うていることを聞いてみると、「(税金を払えないから」、罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている」と。ぬ。それをきくとどんなに彼らが怨み傷んでいるか、その実情を知るものはあるまい。
更に寛大の恩無く、但だ迫促の期有り。
命じて児女を鬻がしめんと欲す、言発せば恐らくは乱随わん。
悉く其の家を索めしむるも、而も又た生資無し。
彼の道路の言を聴くに、怨傷 誰か復た知らん。
#6
"去冬山賊來,殺奪幾無遺。
彼らはこんなことをいう、「去年の冬、山賊がやってきて、人を殺したり物を奪うたりして、いまはほとんどなんにものこっていない。」
所願見王官,撫養以惠慈。
「どうぞお役人さまが慈恵を以て我我を撫で養うようにしていただきたい。」
奈何重驅逐,不使存活為!"
「それなのに、なんでかさねて我我を駆逐されるようなことを、これでは、生き残ることさえもさせてはくださらないのか、」と。(もっともなことだ。)
安人天子命,符節我所持。
人民を安らかに治めよというのが天子の御命令だ。税兵徴発の切手、割符は自分が所持している。
州縣忽亂亡,得罪複是誰?
州県が騒乱状態で、逃亡したと自分は詔や命令にそむいて税金を日延べもしてやるし、免除もしてやる。罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている。
#7
逋緩違詔令,蒙責固其宜。
前賢重守分,惡以禍福移。
亦雲貴守官,不愛能適時。
顧惟孱弱者,正直當不虧。
何人采國風,吾欲獻此辭。
#6
去冬山賊来たる、穀奪 幾ど遺無し。
願う所は王官の、撫養するに恵慈を以てするを見ん。
奈何ぞ重ねて駆逐して、存活を為さしめざると。
人を安んずるは天子の命なり、符節は我が持する所なり。
州県 忽ち乱亡せば、罪を得るは復た是れ誰ぞ。

#7
逋緩せしめて詔令に違う,責を蒙むるは固より其宜しくす。
前賢 分を守るを重んず,惡【いずく】んぞ禍福を以て移らん。
亦た雲官を守るをび,能く時に適うを愛せず。
顧みるに惟れ 孱弱の者,正直 當に虧【か】かざるべし。
何人か國風を采る,吾 此の辭を獻ぜんと欲す。


元結『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#6
"去冬山賊來,殺奪幾無遺。
所願見王官,撫養以惠慈。
奈何重驅逐,不使存活為!"
安人天子命,符節我所持。
州縣忽亂亡,得罪複是誰?

(下し文)
#6
去冬山賊来たる、穀奪 幾ど遺無し。
願う所は王官の、撫養するに恵慈を以てするを見ん。
奈何ぞ重ねて駆逐して、存活を為さしめざると。
人を安んずるは天子の命なり、符節は我が持する所なり。
州県 忽ち乱亡せば、罪を得るは復た是れ誰ぞ。

(現代語訳)
彼らはこんなことをいう、「去年の冬、山賊がやってきて、人を殺したり物を奪うたりして、いまはほとんどなんにものこっていない。」
「どうぞお役人さまが慈恵を以て我我を撫で養うようにしていただきたい。」
「それなのに、なんでかさねて我我を駆逐されるようなことを、これでは、生き残ることさえもさせてはくださらないのか、」と。(もっともなことだ。)
人民を安らかに治めよというのが天子の御命令だ。税兵徴発の切手、割符は自分が所持している。
州県が騒乱状態で、逃亡したと自分は詔や命令にそむいて税金を日延べもしてやるし、免除もしてやる。罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている。

(訳注) #6
「舂陵行」は、元結が広徳二年(七六四) に刺史として、道州に着任した時に書かれた作品である。序文と本文は道川の悲惨な状況を具体的に述べてから、官吏として「顧みるに惟れ屏弱の者、正直歯に鷹かざるべし」という決意を明示し、更に、この詩を適して「以達下情」、つまり道川の州民の願いを朝廷や君主に伝えようとする意欲をも表明している。

この「春陵行」の本文では、まず、兵時には様々な需要があり、その供給の責任は官吏が負っているので、官吏が郡県に臨む時にはどうしても厳しく取り立てることが多いものであると、当時の官吏の状況を指摘する。この部分に関しては元結の「謝上表」「秦免科率状」ともに該当する部分が無い。続いて「州小經亂亡,遺人實困疲。大大?無十家,大族命單贏。朝餐是草根,暮食仍木皮。出言氣欲?,意速行?遲。追呼尚不忍,況乃鞭撲之!」と、道州の悲惨な状況を具体的に述べる。これは「奏免科率状」の「賊散後、百姓蹄復、十不存二
資産皆無。人心傲像、未有安着。」の部分をより開明にしている箇所である。
次に「郵亭傳急符,來往跡相追。更無ェ大恩,但有迫促期。」と、徴求の文書が次々にもたらされることをいう。「奏免科率状」では、徴求の事実とその内容は述べられているが、徴求の激しさについては直接に言及されておらず、「舂陵行」ではより具体的にされているのである。次に、もしも命令通りに徴求を迫れば、更に混乱が生じるであろうこと、及び道州の州民の願いが展開されている。このうち州県の混乱を予想する部分は、「奏免科挙状」の「若依諸
便期限、臣恐坐見乱亡。」という表現に一敦する。楽府の常套的な修辞によった《舂陵行》「聴彼道路言、怨傷誰復知。"去冬山賊來,殺奪幾無遺。所願見王官,撫養以惠慈。奈何重驅逐,不使存活為!」の部分は、二つの文には直接見られないが、「謝上表」の「耆老見臣,俯伏而泣」の部分を具体的に展開しているものと考えることができる。詩ではさらに刺史としての自らの判断が練り返し呈示される。序の薇当部分が繰り返され、刺史としての決意が一層闡明にされているのである。
「春陵行」の最後の部分は、この作品を楽府として位置付けること、ならびに釆詩の官によって朝廷に伝えられるようにしたいという願いが述べられる。

"去冬山賊來,殺奪幾無遺。
彼らはこんなことをいう、「去年の冬、山賊がやってきて、人を殺したり物を奪うたりして、いまはほとんどなんにものこっていない。」
○去冬山賊来以下、不便存括為の句までは人民の言である。

所願見王官,撫養以惠慈。
「どうぞお役人さまが慈恵を以て我我を撫で養うようにしていただきたい。」
○王官 天子から命ぜられた官更。

奈何重驅逐,不使存活為!"
「それなのに、なんでかさねて我我を駆逐されるようなことを、これでは、生き残ることさえもさせてはくださらないのか、」と。(もっともなことだ。)

安人天子命,符節我所持。
人民を安らかに治めよというのが天子の御命令だ。税兵徴発の切手、割符は自分が所持している。
○符節 律令国家であるから、徴税徴兵などのための切手、わりふをいう。

州縣忽亂亡,得罪複是誰?
州県が騒乱状態で、逃亡したと自分は詔や命令にそむいて税金を日延べもしてやるし、免除もしてやる。罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている。
○亂亡 騒乱状態で、逃亡することで、徴集する人民がいなくなる。
○得罪 人民を治撫することのできぬ罪を得る。
○復是誰 自己に外ならぬ。





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舂陵行  元結
(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)
#1序 -1
癸卯?,漫叟授道州刺史。
代宗の広徳元年契卯の歳に漫叟(元結の号)は道州刺史を授けられた。
道州舊四萬餘?,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦?。
道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。
到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,
自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。
皆曰:"失其限者,罪至貶削。"
上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。
#2序 -2
於戲!若悉應其命,則州縣破亂,
ああ、もしみんなこの命令どおりにしたらすなわち、州や県は乱破してしまうであろう。
刺史欲焉逃罪;
そうなったら刺史はどこに罪をのがれるか、のがれ場所がないではないか。
若不應命,又即獲罪?,必不免也。
またもし命令に応ぜねとしたらまたすぐに罪科を得る、きっとそれはのがれられぬことである。
吾將守官,靜以安人,待罪而已。
どうせそうなのなら、自分としては官職を守って、安静を以て人民をおちつかせて、自己の罰せられるのを待とうとするだけのことだ。
此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。
この道州はむかしの舂陵の地だ、それで「舂陵行」という詩をつくって下民の情を上たるものに通達するのである。
#1
(癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。道州は舊四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は賦税に勝へず。官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。
#2
於戲、若し悉く其の命に應ずれば、則ち州縣乱す。
刺史焉くにか罪を逃れんと欲す。
若し命に應ぜずんば、又た即ち罪戻を獲んこと、必ず免れざるなり。
吾将に官を守り、静にして以て人を安んじ、罪を待つのみ。此の州は是れ舂陵の故地なり、故に「舂陵行」を作りて以て下情を達す。)

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及地點:棗陽 (山南東道隨州 棗陽) 別名:舂陵      
道州 (江南西道 道州 道州)        
衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳  
白帝城 (山南東道 ?州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城  


#3《舂陵行》  元結
軍國多所需,切責在有司。
軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。
有司臨郡縣,刑法競欲施。
かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。
供給豈不憂?征斂又可悲。
こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。
州小經亂亡,遺人實困疲。
着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過に問題があり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。
《舂陵行》
軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。
有司 郡県に臨む、刑法競〔竟〕いて施さんと欲す。
供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。
州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。
#4
大?無十家,大族命單贏。
それに、大きな郷でもほんの十軒あるかなしであり、大家族であったものでも、今は人少なになってしまって、命は短命、薄命であり、つかれはてた運命の家となっているのである。
朝餐是草根,暮食仍木皮。
朝のたべものは草の根、夕べのたべものは樹の皮である。
出言氣欲?,意速行?遲。
だから、言葉をだすことさえ息気が絶えそうで、気だけは、芳養っているが、歩きかたはおそい。
追呼尚不忍,況乃鞭撲之!
こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。
郵亭傳急符,來往跡相追。
上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。
#4
大郷にも十家無し、大族も命単贏なり。
朝餐は是れ草根、暮食は乃ち木皮。
言を出せば気絶えんと欲す、意 速かなるも 行歩 遅し。
追呼するだも 尚お 忍びず、況や乃ち 之を鞭撲するをや。
郵亭 急符を伝う、来往 跡 相追う。
#5
更無ェ大恩,但有迫促期。
すこしも民に対して寛大にするという恩はなく、ただただいつまでに日が迫っているから早くせよと催促するだけである。
欲令鬻兒女,言發恐亂隨。
甚しきは銭がなければ命令で児とか娘女でも売りとばさせようというほどの意気ごみをしめせというけれど、こんなことをわたしの口から言葉にだしたら最後すぐにも騒乱がおこるにきまっている。
悉使索其家,而又無生資。
いくら民家のあらゆるものをさがして一切を供出させつくさせたところで、それでは、また生きてゆく基がなくなるのである。
聽彼道路言,怨傷誰複知!
こんな時、人民たちが道路でいかなることを言うていることを聞いてみると、「(税金を払えないから」、罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている」と。ぬ。それをきくとどんなに彼らが怨み傷んでいるか、その実情を知るものはあるまい。
更に寛大の恩無く、但だ迫促の期有り。
命じて児女を鬻がしめんと欲す、言発せば恐らくは乱随わん。
悉く其の家を索めしむるも、而も又た生資無し。
彼の道路の言を聴くに、怨傷 誰か復た知らん。
#6
"去冬山賊來,殺奪幾無遺。
彼らはこんなことをいう、「去年の冬、山賊がやってきて、人を殺したり物を奪うたりして、いまはほとんどなんにものこっていない。」
所願見王官,撫養以惠慈。
「どうぞお役人さまが慈恵を以て我我を撫で養うようにしていただきたい。」
奈何重驅逐,不使存活為!"
「それなのに、なんでかさねて我我を駆逐されるようなことを、これでは、生き残ることさえもさせてはくださらないのか、」と。(もっともなことだ。)
安人天子命,符節我所持。
人民を安らかに治めよというのが天子の御命令だ。税兵徴発の切手、割符は自分が所持している。
州縣忽亂亡,得罪複是誰?
州県が騒乱状態で、逃亡したと自分は詔や命令にそむいて税金を日延べもしてやるし、免除もしてやる。罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている。
#6
去冬山賊来たる、穀奪 幾ど遺無し。
願う所は王官の、撫養するに恵慈を以てするを見ん。
奈何ぞ重ねて駆逐して、存活を為さしめざると。
人を安んずるは天子の命なり、符節は我が持する所なり。
州県 忽ち乱亡せば、罪を得るは復た是れ誰ぞ。
#7
逋緩違詔令,蒙責固其宜。
納税からのがれさせ、納税期を日のべしてやることは、これにより、上司から責められることはもとより当然なことだと覚悟はしている。
前賢重守分,惡以禍福移。
むかしの賢人は治民としての職分を守ることを重んじた。だから、自分一身に禍がくるとか、福がくるとか、そういうことでこの志を移しかえたりすることは、さらさらないのである。
亦雲貴守官,不愛能適時。
私はここに与えられた自己の官職を厳として守ることを貴ぶもので、此処の現状を無視し、時世のむきにあわせてうまく税金を多くとりたてて上司の気に入るようにすることはわたしの望むところではない。
顧惟孱弱者,正直當不虧。
顧みればわたしはかよわいものだし、官位が低く、力が小さいことはわかっており、ただ、正直という点だけは自分自身欠くことはないものと確信している。
何人采國風,吾欲獻此辭。
三皇五帝の古代であれば、だれかが諸国の国ぶりの詩でも採り集め、民の声を聞いた。だからこれに倣って、私もこの地のことをこの詩を歌って献じようと思ったしだいです。
か、

#7
逋緩せしめて詔令に違う,責を蒙むるは固より其宜しくす。
前賢 分を守るを重んず,惡【いずく】んぞ禍福を以て移らん。
亦た雲官を守るをび,能く時に適うを愛せず。
顧みるに惟れ 孱弱の者,正直 當に虧【か】かざるべし。
何人か國風を采る,吾 此の辭を獻ぜんと欲す。



『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#7
逋緩違詔令,蒙責固其宜。
前賢重守分,惡以禍福移。
亦雲貴守官,不愛能適時。
顧惟孱弱者,正直當不虧。
何人采國風,吾欲獻此辭。

(下し文)
#7
逋緩せしめて詔令に違う,責を蒙むるは固より其宜しくす。
前賢 分を守るを重んず,惡【いずく】んぞ禍福を以て移らん。
亦た雲官を守るをび,能く時に適うを愛せず。
顧みるに惟れ 孱弱の者,正直 當に虧【か】かざるべし。
何人か國風を采る,吾 此の辭を獻ぜんと欲す。

(現代語訳)
納税からのがれさせ、納税期を日のべしてやることは、これにより、上司から責められることはもとより当然なことだと覚悟はしている。
むかしの賢人は治民としての職分を守ることを重んじた。だから、自分一身に禍がくるとか、福がくるとか、そういうことでこの志を移しかえたりすることは、さらさらないのである。
私はここに与えられた自己の官職を厳として守ることを貴ぶもので、此処の現状を無視し、時世のむきにあわせてうまく税金を多くとりたてて上司の気に入るようにすることはわたしの望むところではない。
顧みればわたしはかよわいものだし、官位が低く、力が小さいことはわかっており、ただ、正直という点だけは自分自身欠くことはないものと確信している。
三皇五帝の古代であれば、だれかが諸国の国ぶりの詩でも採り集め、民の声を聞いた。だからこれに倣って、私もこの地のことをこの詩を歌って献じようと思ったしだいです。
か、


(訳注)
#7
逋緩違詔令,蒙責固其宜。
納税からのがれさせ、納税期を日のべしてやることは、これにより、上司から責められることはもとより当然なことだと覚悟はしている。
○逋緩 逋は納税からのがれさせゆるすこと、緩は納税期を日のべしてやること。

前賢重守分,惡以禍福移。
むかしの賢人は治民としての職分を守ることを重んじた。だから、自分一身に禍がくるとか、福がくるとか、そういうことでこの志を移しかえたりすることは、さらさらないのである。
○守分 治民の官吏たる職分を守る。

亦雲貴守官,不愛能適時。
私はここに与えられた自己の官職を厳として守ることを貴ぶもので、此処の現状を無視し、時世のむきにあわせてうまく税金を多くとりたてて上司の気に入るようにすることはわたしの望むところではない。
○守官 官吏の職責を守る。
○能適時 時世むきにすること。時世むきにするには人民より重く税をとりたてることである。

顧惟孱弱者,正直當不虧。
顧みればわたしはかよわいものだし、官位が低く、力が小さいことはわかっており、ただ、正直という点だけは自分自身欠くことはないものと確信している。
○孱弱者 よわいもの、自己の官が低く力の小さいことをいう。

何人采國風,吾欲獻此辭。
三皇五帝の古代であれば、だれかが諸国の国ぶりの詩でも採り集め、民の声を聞いた。だからこれに倣って、私もこの地のことをこの詩を歌って献じようと思ったしだいです。
か、
○采國風 古代には採詩の官があって国国のうたをとりあつめて朝廷へだしたといいったえる。
○此辭 この詩篇をいう。

《舂陵行》
軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。
有司 郡県に臨む、刑法競〔竟〕いて施さんと欲す。
供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。
州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。

大郷にも十家無し、大族も命単贏なり。
朝餐は是れ草根、暮食は乃ち木皮。
言を出せば気絶えんと欲す、意 速かなるも 行歩 遅し。
追呼するだも 尚お 忍びず、況や乃ち 之を鞭撲するをや。
郵亭 急符を伝う、来往 跡 相追う。

更に寛大の恩無く、但だ迫促の期有り。
命じて児女を鬻がしめんと欲す、言発せば恐らくは乱随わん。
悉く其の家を索めしむるも、而も又た生資無し。
彼の道路の言を聴くに、怨傷 誰か復た知らん。
#6
去冬山賊来たる、穀奪 幾ど遺無し。
願う所は王官の、撫養するに恵慈を以てするを見ん。
奈何ぞ重ねて駆逐して、存活を為さしめざると。
人を安んずるは天子の命なり、符節は我が持する所なり。
州県 忽ち乱亡せば、罪を得るは復た是れ誰ぞ。

#7
逋緩せしめて詔令に違う,責を蒙むるは固より其宜しくす。
前賢 分を守るを重んず,惡【いずく】んぞ禍福を以て移らん。
亦た雲官を守るをび,能く時に適うを愛せず。
顧みるに惟れ 孱弱の者,正直 當に虧【か】かざるべし。
何人か國風を采る,吾 此の辭を獻ぜんと欲す。




















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