乾元元年華州試進士策問五首
杜甫『乾元元年華州試進士策問五首』
杜甫『乾元元年華州試進士策問五首』
Q-1
問:古之山林藪澤之地,各以肥磽多少為差。故供甲兵士徒之役,府庫賜與之用,給郊廟宗社之祀,奉養祿食之出,辨乎名物,存乎有司,是謂公賦知歸、地著不撓者已。今聖朝紹宣王中興之洪業於上,庶尹備山甫補袞之能事於下,而東寇猶小梗,率土未甚辟,總彼賦?之獲,盡贍軍旅之用,是官禦之舊典闕矣。人神之攸序乖矣;欲使軍旅足食,則賦?未能充備矣。欲將誅求不時,則黎元轉罹於疾苦矣,子等以待問之實,知新之明,觀誌氣之所存,於應對乎何有,佇?救敝之通術,願聞強學之所措,意蓋在此矣,得遊?乎?
Q-2
問:國有?車,廬有飲食,古之按風俗、遣使臣,在王官之一守,得馳傳而分命。蓋地有要害,郊有遠近,供給之比,省費相懸。今茲華惟襟帶,關逼輦轂,行人受辭於朝夕,使者相望於道路,屬年?無蓄積之虞,職司有愁痛之歎。況軍書未?,王命急宣,插羽先?於騰鷹,敝帷不供於埋馬,豈芻粟之勤獨爾,實驂?之價闕如。人主之軫念,?及於茲;邦伯之分憂,何?敢怠?乞恩難再,近日已降水衡之錢;積骨頗多,無暇更入燕王之市。欲使軒有喜,主客合宜,閭閻罷杼軸之嗟,官吏得從容之計,側佇嘉論,當聞濟時。
Q-3
問:通道陂澤,隨山濬川,經?之理,疏奠之術,抑有可觀,其來尚矣。初聖人盡力溝洫,有國作為?防,?後代控引淮海,漕通渭,因舟楫之利,達倉?之儲。又ョ此而殷,亦行之自久。近者有司相土,決彼支渠,既潰渭而亂河,竟功多而事寢。人實勞止,岸乃善崩。遂使委輸之勤,中道而棄。今軍用蓋寡,國儲未贍,雖遠方之粟大來,而助挽之車不給。是以國朝仗彼天使,?茲水工,議下淇園之竹,更鑿商顏之井。又恐煩費居多,績用莫立,空荷成雲之?,複擁填淤之泥。若然,則舟車之用,大小相妨矣;軍國之食,轉致或闕矣。矧夫人煙尚稀,牛力不足者已。子等飽隨時之要,挺賓王之資,副乎求賢,敷厥?議。
Q-4
問:足食足兵,先哲雅誥,蓋有兵無食,是謂棄之。致能掉鞅,靡旌,斯可用矣。況寇猶作梗,兵不可去,日聞將軍之令,親睹司馬之法。關中之卒未息,?上之營何遠?近者鄭南訓練,城下屯集,瞻彼三千之徒,有異什一而?。竊見明發教以戰鬥,亭午放其庸保,課乃菽麥,以為尋常。夫ス以使人,是能用古,伊?則雲暮,實慮休止,未卜及瓜之還,交比翳桑之餓。群有司自救不暇,二三子謂之何哉?
Q-5
問:昔唐堯之為君也,則天之大,敬授人時,十六升自唐侯者已;昔帝舜之為臣也,舉禹之功,克平水土,三十登為天子者已。本之以文思聰明,加之以勞身焦思,既睦九族,協和萬邦,黜去四凶,舉十六相,故五帝之後,傳載唐虞之美,無コ而稱焉。《易》曰:「君子終日乾乾。」《詩》曰:「文王小心翼翼。」竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。主上躬純孝之聖,樹非常之功,?則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,伊百姓不知帝力、庶官但恭。已而已。寇?未平,咎?之至數也;倉廩未實,物理之固然也。今大軍虎?,列國鶴立,山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。二三子議論宏正,詞氣高雅,則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。雖遭明主,必致之於堯舜;降及元輔,必要之於稷?。驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。自古哲王立極,大臣為體,眇然坦途,利往何順,子有?否?庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?頃之問孝秀,取備尋常之對,多忽經濟之體,考諸詞學,自有文章在,策以?事,曷成凡例焉?今愚之粗?,貴切時務而已。夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。代複改鑄,或行乎前?莢、後契刀。當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。下至十室之邑,必有千鍾之藏。苟凶穰以之,貴賤失度,雖封丞相而猶困,侯大農而謂何?是以繼?表微,無或區分逾越,蒙實不敏,仁遠何哉?
(Q−1)
(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)
(Q−2)
(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?)
(Q−3)
(安史の乱による交通手段の遮断、陸上水路整備による駅伝制が整うことによる国領増強はできるのか?)
(Q−4)
(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)
(Q−5)
(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)
乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首Q-1 −(1)》 杜甫index-14 764年(1)Q-1−#1 杜甫<765> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4230 杜甫詩1500-765-1017/2500index-21
乾元元年華州試進士策問五首
(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)
(1)Q-1−#1(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)
問:古之山林藪澤之地,各以肥磽多少為差。
次のように試問する:古代より山林や竹薮、水沢などの地は、それぞれ肥沃であるか痩せているかよって等級をつけられている。
故供甲兵士徒之役,府庫賜與之用,
そこで、兵士や民衆の労役・官庫や賜物の費用に供出したりすること。
給郊廟宗社之祀,奉養祿食之出,
天地や祖先、宗廟・社稜の祭祀や官吏の待遇や官吏に供する扶持米の出費をまかなうに当たったこと。
辨乎名物,存乎有司,
各々の土地の名産や種類を弁別し、その役目をしかるべき役人に荷わせてきたのである。
是謂公賦知歸、地著不撓者已。
これこそ公の賦役には帰すべき所があり、そうしつたことが守られてこそ、人民がその土地に住みつくことを乱さないといえるのである。
(2) Q-1−#2
今聖朝紹宣王中興之洪業於上,
庶尹備山甫補袞之能事於下,
而東寇猶小梗,率土未甚辟,
總彼賦?之獲,盡贍軍旅之用,是官禦之舊典闕矣。
(3)Q-1−#3
人神之攸序乖矣;欲使軍旅足食,則賦?未能充備矣。
欲將誅求不時,則黎元轉罹於疾苦矣,
子等以待問之實,知新之明,
觀誌氣之所存,於應對乎何有,
佇?救敝之通術,願聞強學之所措,
意蓋在此矣,得遊?乎?
(1)Q-1−#1
乾元元年 華州にて進士を試さる策問の五首。
問う:古えの山林藪澤の地は,各の肥磽の多少を以って差と為す。
故に甲兵 士徒の役,府庫 賜與の用を供す,
郊廟 宗社の祀,奉養 祿食の出に給するには
名物を辨じ,乎司を存す。
是れ 公賦 歸するを知り、地著 撓めずと謂う者のみ。
(2) Q-1−#2
今 聖朝 宣王中興の洪業を上に紹ぎ,
庶尹 山甫 補袞の能事を下に備う,
而れども東寇 猶お 小梗し,率土 未だ甚しく辟【ひら】けず。
彼の賦?の獲を總べて,盡く軍旅の用を贍らしむるは,是れ官禦の舊典を闕す。
(3) Q-1−#3
人神の攸序 乖くなるや;軍旅をして足食をら使めんと欲すれば,則ち賦?未だ充備する能わず。
將に誅求 時ならざらんと欲すれば,則ち黎元 轉た疾苦に罹【かか】る,
子等 待問の實,知新の明を以ってす,
誌氣の所存を觀せて,應對に於て何をか有らん。
佇して救敝の通術を?し,願わくば強學の措す所を聞かん,
意は蓋し此に在り,遊?を得んや?
乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (2) Q-1−#2》 杜甫<766> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4235 杜甫詩1500-766-1018/2500index-21
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『乾元元年華州試進士策問五首』現代語訳と訳註
(本文)(1) Q-1−#1
問:古之山林藪澤之地,各以肥磽多少為差。
故供甲兵士徒之役,府庫賜與之用,
給郊廟宗社之祀,奉養祿食之出,
辨乎名物,存乎有司,
是謂公賦知歸、地著不撓者已。
(下し文)
Q-1 −(1)
乾元元年 華州にて進士を試さる策問五首。
問う:古えの山林藪澤の地は,各の肥磽の多少を以って差と為す。
故に甲兵 士徒の役,府庫 賜與の用を供す,
郊廟 宗社の祀,奉養 祿食の出に給するには
名物を辨じ,乎司を存す。
是れ 公賦 歸するを知り、地著 撓めずと謂う者のみ。
(現代語訳)
(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)
次のように試問する:古代より山林や竹薮、水沢などの地は、それぞれ肥沃であるか痩せているかよって等級をつけられている。
そこで、兵士や民衆の労役・官庫や賜物の費用に供出したりすること。
天地や祖先、宗廟・社稜の祭祀や官吏の待遇や官吏に供する扶持米の出費をまかなうに当たったこと。
各々の土地の名産や種類を弁別し、その役目をしかるべき役人に荷わせてきたのである。
これこそ公の賦役には帰すべき所があり、そうしつたことが守られてこそ、人民がその土地に住みつくことを乱さないといえるのである。

京兆地域図 華州 (
r-6)
(訳注)
乾元元年華州試進士策問五首
(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)
表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということ、正解の策でどう導くかということである。
この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。
Q-1 −(1)(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)
問:古之山林藪澤之地,各以肥磽多少為差。
次のように試問する:古代より山林や竹薮、水沢などの地は、それぞれ肥沃であるか痩せているかよって等級をつけられている。
・肥磽 肥沃であると痩せている。
・差 等級をつけること。
故供甲兵士徒之役,府庫賜與之用,
そこで、兵士や民衆の労役・官庫や賜物の費用に供出したりすること。
給郊廟宗社之祀,奉養祿食之出,
天地や祖先、宗廟・社稜の祭祀や官吏の待遇や官吏に供する扶持米の出費をまかなうに当たったこと。
・奉養祿食之出 官吏の待遇や官吏に供する扶持米の出費。
辨乎名物,存乎有司,
各々の土地の名産や種類を弁別し、その役目をしかるべき役人に荷わせてきたのである。
・辨 ふりわける。弁別すること。
是謂公賦知歸、地著不撓者已。
これこそ公の賦役には帰すべき所があり、そうしつたことが守られてこそ、人民がその土地に住みつくことを乱さないといえるのである。
・地著 人民か土地に住み着くこと。
『乾元元年華州試進士策問五首』現代語訳と訳註
(本文) (2) Q-1−#2
今聖朝紹宣王中興之洪業於上,
庶尹備山甫補袞之能事於下,
而東寇猶小梗,率土未甚辟,
總彼賦?之獲,盡贍軍旅之用,是官禦之舊典闕矣。
(下し文)(2) Q-1−#2
今 聖朝 宣王中興の洪業を上に紹ぎ,
庶尹 山甫 補袞の能事を下に備う,
而れども東寇 猶お 小梗し,率土 未だ甚しく辟【ひら】けず。
彼の賦?の獲を總べて,盡く軍旅の用を贍らしむるは,是れ官禦の舊典を闕す。
(現代語訳)
今の聖朝は、上に立つ者として秀でているものとしては周の宣王が夷狄をしりぞけ、周を中興した偉業を唐の中興の英主として受け継がれておる。
周の中興における下臣にはもろもろの諫言者として仲山甫が天子を輔佐した能力を備えて補佐している。
しかしながら、東で反乱を起こした安史の寇軍はいまだにいくつかの前衛を塞いでおり、天下の海際の果てまで暗雲はまだ充分には開けていない。
そこで政府の大切なことは人民からきちんと賦税をすべて集めること、現地調達をやめて、尽く賦税で軍隊の需要をにまかなうこと。これこそは官か大下を統御する古い制度ではあるが朝廷の重要なものなのである。
(訳注) (2) Q-1−#2
(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)
乾元元年華州試進士策問五首
(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)
表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということである。
この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。
今聖朝紹宣王中興之洪業於上,
今の聖朝は、上に立つ者として秀でているものとしては周の宣王が夷狄をしりぞけ、周を中興した偉業を唐の中興の英主として受け継がれておる。
・聖朝 粛宗の朝廷をいう。
・中興 周の第十一代の宣王は夷秋を撰い中興をなした。杜甫は希望を込めて肅宗を中興の英主と称した。杜甫の作品で、房?、鄭虔を偲んで作った詩には肅宗を中興の英主としてうたっている。『憶昔,二首之二』『洗兵行』は同時期に作られたものである。
index杜甫詩 (5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 -5
758年;乾元元年、47歳
193 得舎弟消息
194 逼仄行贈畢曜
195 送李校書二十六韻
196 洗兵行 #1
洗兵行 #2
洗兵行 #3
洗兵行 #4
送鄭十八虔貶台州司?、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩
有懷台州鄭十八司?虔
庶尹備山甫補袞之能事於下,
周の中興における下臣にはもろもろの諫言者として仲山甫が天子を輔佐した能力を備えて補佐している。
・山甫 周の宣王の賢臣、仲山甫のこと。周の宣王を補佐して中興を成し遂げた。仲山甫(生没年不詳)樊穆仲、樊仲山父ともいう。周の宣王に仕えた臣。宣王のとき、西戎との戦いに南方諸侯国の兵力を消耗したため、王自らが戸口調査をして徴兵しようとしたのを諫めたが容れられなかった。また、魯の公子ふたりが入朝したとき、宣王は弟の戯を気に入って魯の太子に立てさせようとしたので、これを諫めたが聞き入れられなかった。 『詩経』大雅、蒸民に「保茲天子、生仲山甫。」とある。杜甫や房?、鄭虔など良い諫言をするものがいたということ。
而東寇猶小梗,率土未甚辟,
しかしながら、東で反乱を起こした安史の寇軍はいまだにいくつかの前衛を塞いでおり、天下の海際の果てまで暗雲はまだ充分には開けていない。
・東寇猶小梗 安史軍の安慶緒か東北方面に勢力を保っていることをいう。
・率土 「率土之浜」の略。境域の内。天下中。「持経」小雅、北山に「溥天之下、莫非王土、率土之濱、莫非王臣。」(土地から土地へと続くところは海際の果てまで、そこに住む人間は誰一人として天子の臣でないものはない。)とある。
總彼賦?之獲,盡贍軍旅之用,是官禦之舊典闕矣。
そこで政府の大切なことは人民からきちんと賦税をすべて集めること、現地調達をやめて、尽く賦税で軍隊の需要をにまかなうこと。これこそは官か大下を統御する古い制度ではあるが朝廷の重要なものなのである。
・古来軍隊の行軍で、現地調達、現地収容という横暴・強制、場合によっては略奪を行ったことがあったこと、この試験の策問として受験者の意識を確かめるものとして適正な問題といえる。
『乾元元年華州試進士策問五首』現代語訳と訳註
(本文) (3)Q-1−#3
人神之攸序乖矣;欲使軍旅足食,則賦?未能充備矣。
欲將誅求不時,則黎元轉罹於疾苦矣,
子等以待問之實,知新之明,
觀誌氣之所存,於應對乎何有,
佇?救敝之通術,願聞強學之所措,
意蓋在此矣,得遊?乎?
(下し文) (3) Q-1−#3
人神の攸序 乖くなるや;軍旅をして足食をら使めんと欲すれば,則ち賦?未だ充備する能わず。
將に誅求 時ならざらんと欲すれば,則ち黎元 轉た疾苦に罹【かか】る,
子等 待問の實,知新の明を以ってす,
誌氣の所存を觀せて,應對に於て何をか有らん。
佇して救敝の通術を?し,願わくば強學の措す所を聞かん,
意は蓋し此に在り,遊?を得んや?
(現代語訳)
人と神にはこれが秩序であるが、これにそむくことがあるという。現実には軍隊の食料を足らせようとするだけである(賦課を中間が抜く)、すなわち賦税が軍備にあてられず、充分なだけ備えられないということである。
そうなるとひっきりなしに税を厳しく取り立てることになるので、人民はますますそれによる苦しみをこうむることになる。
これをどう解決すべきか?受験者諸君、試問にはこれを解決すること、新しい理をさとる聡明さをしめすこと。
その示した理論、考えを、そしてその考えの実施する方法についてどうするのかということを、まとめ書き記してみせたまえ。
生活が良くならず、枯渇・貧困を、そうした疲弊を救う理論と実践について、これまで猛勉強してきた諸君が、この策問に対してどのような措置をとるのかを聞きたいと願っている。
諸君の考え、きっちりとここにある。どうか高説を述べられることをせよ。
(訳注)(3)Q-1−#3
(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)
乾元元年華州試進士策問五首
(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)
表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということである。
この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。
人神之攸序乖矣;欲使軍旅足食,則賦?未能充備矣。
人と神にはこれが秩序であるが、これにそむくことがあるという。現実には軍隊の食料を足らせようとするだけである(賦課を中間が抜く)、すなわち賦税が軍備にあてられず、充分なだけ備えられないということである。
欲將誅求不時,則黎元轉罹於疾苦矣,
そうなるとひっきりなしに税を厳しく取り立てることになるので、人民はますますそれによる苦しみをこうむることになる。
・誅求不時 時を定めず、厳しく責めて租税を取りたてること。
子等以待問之實,知新之明,
これをどう解決すべきか?受験者諸君、試問にはこれを解決すること、新しい理をさとる聡明さをしめすこと。
・待問之實 試問にはこれを解決すること。
・知新 新しい理を知ること。「温故知新」
觀誌氣之所存,於應對乎何有,
その示した理論、考えを、そしてその考えの実施する方法についてどうするのかということを、まとめ書き記してみせたまえ。
佇?救敝之通術,願聞強學之所措,
生活が良くならず、枯渇・貧困を、そうした疲弊を救う理論と実践について、これまで猛勉強してきた諸君が、この策問に対してどのような措置をとるのかを聞きたいと願っている。
・救敝「救弊一に同じ。疲弊を救うこと。戦争、飢饉、が続き生活が疲弊していたこと。賦税が払えないものが激増して軍備整えること、増強はさらに難しく状況であった。
意蓋在此矣,得遊?乎?
諸君の考え、きっちりとここにある。どうか高説を述べられることをせよ。
乾元元年華州試進士策問五首Q-1完全訳注解説
乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首Q-1 −(1)》 杜甫index-14 764年(1)Q-1−#1 杜甫<765> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4230
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乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (8) Q-3−#2》 杜甫index-14 764年 (8) Q-3−#2 杜甫<772> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4265
乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (9) Q-3−#3》 杜甫index-14 764年 (9) Q-3−#3 杜甫<773> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4270
乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (10) Q-3−#4》 杜甫index-14 764年 (10) Q-3−#4 杜甫<774> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4275
乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (11) Q-4−#1》 杜甫index-14 764年 (11)Q-4−#1 杜甫<775> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4280
乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (12) Q-4−#2》 杜甫index-14 764年 (12) Q-4−#2 杜甫<776> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4285
乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (13) Q-4−#3》 杜甫index-14 764年 (13) Q-4−#3 杜甫<777> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4290
乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (14) Q-5−#1》 杜甫index-14 764年 (14)Q-5−#1 杜甫<778> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4295
乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (15) Q-5−#2》 杜甫index-14 764年 (15) Q-5−#2 杜甫<779> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4300
乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (16) Q-5−#3》 杜甫index-14 764年 (16) Q-5−#3 杜甫<1509-16> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4305
乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (17) Q-5−#4》 杜甫index-14 764年 (17) Q-5−#4 杜甫<1509-17> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4310
乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (18) Q-5−#5》 杜甫 <1509-18> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4315 杜甫詩1500-1509-18-1034/2500i
乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (19) Q-5−#6》 杜甫<1509-19> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4320 杜甫詩1500-1509-19-1035/2500index-21
乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (20) Q-5−#7》杜甫<1509-20> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4325 杜甫詩1500-1509-20-1036/2500index-21
乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (21) Q-5−#8》 杜甫<1509-21> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4330 杜甫詩1500-1509-21-1037/2500index-21
乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (22) Q-5−#9》 杜甫<1509-22> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4335 杜甫詩1500-1509-22-1038/2500index-21
757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500