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全唐文 杜甫 三五九


乾元元年華州試進士策問五首」に関するものがたり


757年至徳二載、杜甫は蘆子関で捕縛され、安禄山の叛軍に占領されていた長安に送られた。杜甫は軟禁の長安から命がけで脱出し、鳳翔の行在所に駆けつけた。その功によって粛宗に拝謁し、左拾遺(従八品上)の官を授けられた。必ずしも高い官職ではなかったが、その職掌は皇帝の政治の誤りを正すことにあり、同官を拝命した喜びは、杜甫にとって大きいものだった。ところが間もなく、杜甫は宰相房?を弁護して粛宗の逆鱗に触れた。辛くも罪を問われることは免れたが、杜甫は徹底して朝廷内で疎外され、仕事に関して嫌気を感じていた。翌年には房?の一党とされて、華州司功参軍に出される。杜甫が官を辞することはこの時期に到る詩には明確にあらわれている。そして759年乾元二年秋初、杜甫は粛宗の時代では、一縷の希望もないと、官職を捨てて秦州へと旅立つ。半官半隠の理想と人生は、捨てきれないものの後半生の漂泊はここに始まった。
左拾遺の官を拝命して、希望と使命感を抱いた杜甫が、一転して挫折と失望を味わうこととなった原因が、いわゆる「房?擁護事件」であるといわれるが、実際には、朝廷内における「房?一派」は、肅宗、宦官、賀蘭進明・第五gの連合から朝廷からはじき出されたのである。この事について、杜甫の《乾元元年華州試進士策問五首》の訳註解説の中で詳しく述べているので参考にしてもらいたい。

 杜甫と房カンについて杜甫の詩文は以下のようにある。

●杜甫詩index-13  763年寶應二年 杜甫52歳 蜀中転々 92首

@720 《陪王漢州留杜綿州泛房公西湖【案:房カン刺漢州時所鑿。】》 蜀中転々 杜甫 <627>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3445 杜甫詩1000-627-883/1500五言律詩

A721 《舟前小鵝兒〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖。〕》 蜀中転々 杜甫 <628>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3450 杜甫詩1000-628-884/1500

B722 《得房公池鵝》 蜀中転々 杜甫 <629>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3455 杜甫詩1000-629-885/1500

C廣徳2年764-88 《別房太尉墓》 杜甫index-14 764年?州<764> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4150 杜甫詩1500-764-1001/250052



●杜甫詩index-15  765年永泰元年 54歳 正月幕府を辞す 63首

D855 承聞故房相公靈?,自?州?殯歸葬東都有作,二首之一

E856 承聞故房相公靈?,自?州?殯歸葬東都有作,二首之二

(故房相公靈?,?州より殯を?き 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首)



●文

F奉謝口敕放三司推問状

G祭故相国清河房公文(故の相国清河房公を祭る文)

○房大尉 宰相房?、大尉はその贈官である、?、字は次律、玄宗が蜀に幸したとき宰相に拝されたが、陳涛斜の敗戦(悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152   悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153)によって房?を貶されて?州刺史となった。上元元年礼部尚書に改められ、ついで出されて晋州刺史とされ、八月漢州刺史に改められた。763年寶應二年四月特進・刑部尚書に拝されたが、途中で病にかかり、763年廣徳元年八月(宝応二年七月廣徳と改元)?州の僧舎に卒した。六十七歳、太尉を贈られた。

764年広徳二年春、?州より成都に赴こうとして房?の墓に別れる情をのべた詩『別房太尉墓』がある。作者の文集中に広徳元年九月に作った「故相国清河房公を祭る文」がある。(全唐文にあるものを別に紹介する。)



763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1)》 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500

廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(2)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4160 杜甫詩1500-1501-2-1003/250054

廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(3)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4165 杜甫詩1500-1501-3-1004/250055

廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(4)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4170 杜甫詩1500-1501-4-1005/250056

廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(5)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4175 杜甫詩1500-1501-5-1006/250057

廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(6)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4180 杜甫詩1500-1501-6-1007/250058

廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(7)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4185 杜甫詩1500-1501-7-1008/250059

廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(8)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4190 杜甫詩1500-1501-8-1009/250060

廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(9)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-9> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4195 杜甫詩1500-1501-9-1010/250064

廣徳元年763年 《祭故相國清河房公文-(10)》 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-10> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4200 杜甫詩1500-1501-10-1011/250065

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756年至徳元から二載 《杜甫と房?房?関連 1-(1)》 杜甫index-5 756年房?関連 1-(1) 杜甫<1601-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

757年至徳二載 《杜甫と房? 房?関連 1-(2)》杜甫index-5 756年 房?関連 1-(2) 杜甫<1601-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4350 杜甫詩1500-1601-2-1041/2500

757年至徳二載 《杜甫と房?房?関連 1-(3)》 杜甫index-14 764年房?関連 1-(3) 杜甫<1601-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4355 杜甫詩1500-1601-3-1042/2500

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757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問? 房?関連1-(5)》 杜甫 房?関連 1-(5) 杜甫<1502-5>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4365 杜甫詩1500-1502-5-1044/2500

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問? 房?関連1-(6)》 杜甫index-14 764年 房?関連 1-(6) 杜甫<1502-6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4370 杜甫詩1500-1502-6-1045/2500

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乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首Q-1 −(1)》 杜甫index-14 764年(1)Q-1−#1 杜甫<765> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4230 杜甫詩1500-765-1017/2500index-21

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乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首(8) Q-3−#2》 杜甫index-14 764年 (8) Q-3−#2 杜甫<772> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4265 杜甫詩1500-772-1024/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首(9) Q-3−#3》 杜甫index-14 764年 (9) Q-3−#3 杜甫<773> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4270 杜甫詩1500-773-1025/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首(10) Q-3−#4》 杜甫index-14 764年 (10) Q-3−#4 杜甫<774> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4275 杜甫詩1500-774-1026/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首(11) Q-4−#1》 杜甫index-14 764年 (11) Q-4−#1 杜甫<775> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4280 杜甫詩1500-775-1027/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首(12) Q-4−#2》 杜甫index-14 764年 (12) Q-4−#2 杜甫<776> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4285 杜甫詩1500-776-1028/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首(13) Q-4−#3》 杜甫index-14 764年 (13) Q-4−#3 杜甫<777> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4290 杜甫詩1500-777-1029/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首(14) Q-5−#1》 杜甫index-14 764年 (14) Q-5−#1 杜甫<778> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4295 杜甫詩1500-778-1030/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首(15) Q-5−#2》 杜甫index-14 764年 (15) Q-5−#2 杜甫<779> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4300 杜甫詩1500-779-1031/2500index-21

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首(16) Q-5−#3》 杜甫index-14 764年 (16) Q-5−#3 杜甫<1509-16> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4305 杜甫詩1500-1509-16-1032/2500index-21

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首(17) Q-5−#4》 杜甫index-14 764年 (17) Q-5−#4 杜甫<1509-17> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4310 杜甫詩1500-1509-17-1033/2500index-21

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乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首(19) Q-5−#6》 杜甫index-14 764年 (19) Q-5−#6 杜甫<1509-19> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4320 杜甫詩1500-1509-19-1035/2500index-21

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乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首(22) Q-5−#9》 杜甫<1509-22> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4335 杜甫詩1500-1509-22-1038/2500index-21

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首(23) 全体》 杜甫<1509-T> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500






































乾元元年華州試進士策問五首
(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)



表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということ、正解の策でどう導くかということである。
この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。







(Q−1)

(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)





(Q−2)

(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?)




(Q−3)

(安史の乱による交通手段の遮断、陸上水路整備による駅伝制が整うことによる国領増強はできるのか?)




(Q−4)

(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)



(Q−5)

(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)

全唐文 杜甫 三五九







 
 
 


  全唐文 卷三五九

1. 1
朝獻太清宮賦

1. 2
朝享太廟賦

1. 3
有事於南郊賦

1. 4
封西嶽賦(並序)

1. 5
越人獻馴象賦(以辭林邑望國門為韻)

1. 6
雕賦

1. 7
天狗賦(並序)

1. 8
乾元元年華州試進士策問五首

1. 9
進三大禮賦表

1.10
進封西嶽賦表

1.11
進雕賦表

1.12
為キ府柏都督謝上表

1.13
為ロウ州,王使君進論巴蜀安危表










1. 1  朝獻太清宮賦

 冬十有一月,天子既納處士之議,承漢繼周,革弊用古,勒崇揚休。明年孟陬,將?大禮以相籍,越彝倫而莫儔。?良辰而戒吉,分祀事而孔修;營室主夫宗廟,乘輿備乎冕裘。甲子王以昧爽,春寒薄而清浮。??闔,逗蚩尤;張猛馬,出騰?。??惑,墮旄頭;風伯扶道,雷公挾?。通天台之雙闕,警溟漲之十洲。浩劫??,萬山??;臻於長樂之舍,嵬入乎崑崙之邱。太乙奉引,庖犧左右;堯?舜趨,禹馳湯驟。鬱宮之イ?,?元氣以經構;斷紫雲而竦牆,撫流沙而承霤。紛?珠而陷碧,?波錦而浪?;森青冥而欲雨,光炯而初晝。於是翠?俄的,藻藉舒就;祝融擲火以焚香,溪女捧盤而盥漱。群有司之望幸,辨名物之難究;瓊漿自濶冷蜷キ,羽客先來於介冑。爍聖主之儲祉,敬雲孫而及此;詔軒轅使合符,敕王喬以視履。積昭感於嗣續,匪正辭於祝史;若?之有憑,肅風飆而乍起。揚流蘇於浮柱,金英霏而披靡;擬雜佩於曾?,芝蓋欹以颯?。中??以回復,外蕭蕭而未已。
上穆然注道為身,覺天傾耳;陳僭號於五代,復戰國於千祀。曰:「嗚呼!昔蒼生纏孟コ之禍,為仲達所愚;鑿齒其俗,??其孤。赤烏高飛,不肯止其屋;?龍哮吼,不肯負其圖。伊神器?兀,而小人??。?紀大破,瘡痍未蘇;尚攫於?蜀,又顛躓於羯胡。縱群雄之發憤,誰一統於亨衢?在拓跋與宇文,豈風塵之不殊?比聰?及堅特,渾貔豹而齊驅。愁陰鬼嘯,落日梟呼。各擁兵甲,?稱國都;且耕且戰,何有保無?惟累聖之徽典,恭淑慎以允緝;茲火土之相生,非符讖之備及。煬帝終暴,叔寶初襲;編簡尚新,義旗爰入。既清國難,方睹家給。竊以為數子自誣,敢正乎五行攸執?而觀者潛晤,或喜至於泣。矧鱗介以之鳴?,昆?以之振蟄。感而遂通,罔不具集;i神光而???,羅詭異以?。地軸傾而融曳,洞宮儼以嶷岌;九天之雲下垂,四海之水皆立。鳳鳥威遲而不去,鯨魚屈矯以相吸;掃太始之含靈,卷殊形而可?。」則有虹為鉤帶者,入自於東。?莽蒼,履??;素髮漠漠,至精濃濃。條弛張於巨細,覬披寫於心胸。蓋修竿無隙,而仄席以容;裂手中之K簿,睨堂下之金鍾。得非擬斯人於壽域,明返樸於元蹤?忽翳日而翻萬象,卻浮雲而留六龍;鹹?蹠而壯茲應,終蒼?而昧所從。上猶色若不足,處之彌恭。天師張道陵等?左元君者前千二百官吏,謁而進曰:「今王巨唐,帝之苗裔,坤之紀綱。土配君服,宮尊臣商;起數得統,特立中央。且大樂在懸,?鍾冠八音之首;太昊斯?,青陸獻千春之祥。曠哉勤力耳目,宜乎大帶斧裳。故風後、孔甲充其佐,山稽、岐伯翼其傍。至於易制取法,足以朝登五帝,夕宿三皇。信周武之多幸,存漢祖之自強;且近朝之濫吹,仍改卜乎祠堂。初降素車,終勤恤其後;有客白馬,固漂淪不忘。伊庶人得議,實邦家之光。臣道陵等試本之於青簡,探之於縹?。列聖有差,夫子聞斯於老氏;好問自久,宰我同科於季康。敢撥亂返正,乃此其所長。」萬神開,八駿迥;旗掩月,車奮雷;騫七曜,燭九垓。能事穎膠,清光大來。或曰今太平之人,莫不優遊以自得。況是蹴魏踏晉、批周抉隋之後,與夫更始者哉!










1. 2  朝享太廟賦

初高祖、太宗之櫛風沐雨,勞身焦思,用?鉞白旗者五年,而天下始一。?三朝而戮力,今庶績之大備,上方采尨俗之謠,稽正統之類,蓋王者盛事。臣聞之於里曰:「昔武コ已前,黔黎蕭條,無復生意,遭鯨鯢之蕩汨。荒?月而沸渭,袞服紛紛,朝廷多閏者,仍亙乎晉魏。」臣竊以自赤精之衰歇,曠千載而無真人,及?圖之經綸,息五行而歸厚地。則知至數不可以久缺,凡材不可以長寄。故高下相形,而尊卑各異;惟神斷係之於是,本先帝取之以義。

壬辰既格於道祖,乘輿即以是日致齋於九室;所以昭達孝之誠,所以明繼天之質。具禮有素,六官鹹秩。大輅?出,或黎元不知;豐年則多,而筐筥甚實。既而太尉參乘,司仆扈蹕;望重以肅恭,順法駕之徐疾,公卿淳古,士卒精一;?宗廟之愈深,抵職司之所密。宿翠華於外?,曙?屋於通術;氣淒淒於前旒,光靡靡於嘉栗。階有賓?,帳有甲乙。升降之際,見玉柱生芝;?拊之初,覺鈞天合律。筍?i以碣?,干戚宛而婆娑;?鼓??為之主,鍾磬?瑟以之和;《雲門》、《咸池》取之至,空桑孤竹貴之多。八音修通,既比乎旭日昇而氛埃滅;萬舞陵亂,又似乎春風壯而江海波。鳥不敢飛,而元甲孝?以嶽峙;象不敢去,而鳴佩??以星羅。已而上乾豆以《登歌》,美休成之既饗;璧玉儲精以稠疊,門闌洞豁而森爽。K帝歸寒而激昂,蒼靈戒曉而來往。熙事莽而充塞,群心麌以振蕩。桐花未吐,孫枝之鸞鳳相鮮;雲氣何多,宮井之蛟龍亂上。

若夫生宏佐命之道,死配貴神之列,則殷、劉房、魏、之勳,是可以中摩伊、呂,上冠?、?。代天之工,為人之傑;丹青滿地,鬆竹高節。自唐興以來,若此時哲,皆朝有數四,名垂卓?。向不遇撥亂反正之主,君臣父子之別;奕葉文武之雄,注意生靈之切。雖前輩之?良ェ大、豪俊果決,曾何以措其筋力與韜ツ,載其刀筆與喉舌,使祭則與食則血,若斯之盛而已?爾乃直於主,索於?;警幽全之物,散純道之精。蓋我後常用,惟時克貞;?以蕭合,酌以茅明;?以慈告,祝以孝成。故天意張皇,不敢殄其瑞;神奸妥帖,不敢秘其精,而撫?軌、享鴻名者矣,於以《奏永》安,於以奏《王夏》。福穰穰於絳闕,芳霏霏於玉?;沛枯骨而破聾盲,施夭胎而逮鰥寡。園陵動色,躍在藻之泉魚;弓劍皆鳴,汗鑄金之風馬。霜露堪吸,禎祥可把。曾宮歔欷,陰事儼雅;薄清輝於鼎湖之上,靜餘響於蒼梧之野。

上?然漠漠,タ然兢兢;紛益所慕,若不自勝。瞰牙旗而獨立,吟翠駮而未乘;五老侍祠而精駭,千官逖聽而思凝。於是二丞相進曰:「陛下應道而作,惟天與能。澆訛散,淳樸登;尚猶日慎業業,孝思烝烝;恐一物之失所,懼先王之咎?。如此之勤恤匪懈,是百姓保以報夫元首?在臣等何以充其股肱?且如周宣之教親不暇,漢武之淫祀相仍;諸侯敢於迫脅,方士奮其威?。一則以微言勸?,一則以輕舉?憑。又非陛下恢廓緒業,其瑣細亦曷足稱?」丞相退,上天蹐地,授綏登車。伊鴻洞槍桑,先出為儲胥;本枝根株乎?萬代,睿想經緯乎六?。甲午方有事於采壇,紺席宿夫行所如初。










1. 3  有事於南郊賦

蓋主上兆於南郊,聿懷多福者舊矣。今茲練時日,就陽位之美,又所以厚祖考、通神明而已。職在宗伯,首崇?祀。先是春官條頌祇之書,獻祭天之紀;令泰龜而不昧,俟萬事之將履;掌次?氈邸之則,封人考?宮之旨;司門轉致乎?牲牢之係,小胥專達乎懸位之使。二之日朝廟之禮既畢,天子蒼然視於無形,澹然若有所聽;又齋心於宿設,將?食而匪寧。旌門坡?以前?,?騎反覆以相經;頓曾城之軋軋,軼萬?之??。馳道端而如砥,浴日上而如萍;掣翠旄於華蓋之角,彗?屋於鉤陳之星。神仙戌削以落羽,魍魎幽憂以固?;戰岐栗華,擺渭掉。地回回而風淅淅,天泱泱而氣青青;甲冑乘陵,轉迅雷於荊門巫峽。玉帛清迥,霽夕雨於瀟湘洞庭;於是乘輿,霈然乃作。翳夫鸞鳳將至以衝融,寥廓不可乎彌度;聲明通乎純粹,溟A為之垠?。駟蒼?而蜿蜒,若無骨以柔順;奔烏攫而黝蛟,徒有勢於殺縛;朱輪竟野而杳冥,金?成陰以結絡;吹堪輿以軒輊,槍寒暑以前卻。中營密擁乎太陽,宸眷眇臨乎長薄;熊羆弭耳以相舐,虎豹高跳以?攫。上方將降帷宮之??,屏玉?以蠖略。人門行馬,以拱乎合?之場;皮弁大裘,始進於穹崇之幕。衝牙鏗鏘以將集,周衛??而鹹若;月窟K而扶桑寒,田燭稠而曉星落。肅定位以告潔,藹嚴上而清超;雲??以張蓋,春??以建杓。簪裾斐斐,樽俎蕭蕭;方回曲折,周旋寂寥。必本於天,王宮與夜明相射;動而之地,山林與川谷?標。於是乎官有,事有職;所以敬鬼神,所以勤稼穡;所以報本反始,所以度長立極。元酒明水之上,越席疏布之側;必取先於稻?曲?之勤,必取著於紛純文?之飾。雖三牲八?豐備以相沿,而蒼璧?j實歸乎正色。先王之丕業繼起,信可以永其昭配;群望之遍祭在斯,示有以明其翼戴。由是播其聲音以陳列,從乎節奏以進退。《韶》、《夏》、《?》、《武》,采之於訓謨;鍾石陶匏,具之於梗概。變方形於動植,聽宮?於??。英華發外,非因乎筍?之高;和順積中,不在乎雷鼓之大。既而??掛胃,柴燎窟塊;?擘?赫,葩斜晦潰。電纏風升,雪諷星碎;拂勿健?,眇溟??。聖慮岑寂,元?晁シ;蒼生禺?,毛發清籟。雷公河伯,或???以脩聳;霜女江妃,乍紛綸而?暖。執?秉?,朱幹玉戚。鼓瑟吹笙,金支翠旌;神光倏斂,祀事?明。於是???乎渙?,紆餘乎經營。浸朱崖而灑朔漠,洶暘穀而濡若英;耆艾涕而童子舞,叢棘?而?牢傾。是率土之濱,覃?醵以涵泳;非奉郊之縣,獨宴慰以縱。元澤淡濘乎無極,殷薦綢繆乎至精。稽古之時,?應符而合契;聖人有作,不逆寡而雄成。

爾乃孤卿,侯伯,群儒三老,儼而?皮軒,趨帳殿,稽首曰:「臣聞燧人氏已往,法度難知,文質未變。太昊氏繼天而王,根?閉於厥初;以木傳子,?終始而可見。?虞夏殷周,茲煥炳而??。秦失之於狼貪蠶食,漢綴之以蛇斷龍戰;中莽茫茫夫何以從,聖蓄縮曾不下眷。伏惟道祖視生靈之磔裂,鬼害馬之蹄齧;?五精之息肩,考正氣之無轍。協夫貽孫以降,使之造命更挈;累聖昭洗,中祚觸蹶。氣慘黷乎脂夜之妖,勢回薄乎龍蛇之?。伏惟陛下勃然憤激之際,天闕不敢旅拒,鬼神為之嗚咽;高衢騰塵,長劍吼血。尊卑配宇縣刷,插紫極之將?,拾清芬於已缺。爐之以仁義,鍛之以賢哲;聯祖宗之耿光,卷夷狄之??。蓋九五之後,人人自以遭唐虞;四十年來,家家自以為稷?。王綱近古而不軌,天聽貞觀以高?。蠢爾差僭,粲然優劣;宜其課密於空積忽微,刊定於興廢繼?。而後睹數統從首,八音六律而惟新;日起算外,一字千金而不滅。」上曰:「?!昊天有成命,惟五聖以受;我其夙夜匪遑,宴用素樸以守。呈嗟乎?麟鳳,胡為乎郊藪?豈上帝之降鑒及茲,元元之垂裕於後?」夫聖以百年為鶉?,道以萬物為芻狗。今何以茫茫臨乎八極,眇眇托乎群後;端策拂龜於周漢之餘,緩視闊?於魏晉之首?斯上古成法,蓋其人已朽,不足道也。於是天子默然而徐思,終將固之又固之;意不在抑殊方之貢,亦不必廣無用之祠。金馬碧?,非理人之術;珊瑚翡翠,此一物何疑?奉郊廟以為寶,?タ以孜孜;況大庭氏之時,六龍飛禦之歸。















1. 4  封西嶽賦(並序)

上既封泰山之後,三十年間,車轍馬跡,至於太原,還於長安。時或謁太廟,祭南郊,??孟冬,巡幸?泉而已。聖主以為王者之禮,告厥成功,止於岱宗可矣。故不肯到??,訪具茨,驅八駿於昆侖,親射蛟於江水,始為天子之能事壯觀焉爾。況行在供給蕭然,煩費或至,作歌有慚於從官,誅求坐殺於長吏,甚非主上執元祖醇?之道,端拱禦蒼生之意。大哉聖哲,垂萬代則,蓋上古之君,皆用此也。然臣甫愚,竊以古者疆場有常處,讚見有常儀,則備乎玉帛,而財不匱乏矣;動乎車輿,而人不愁痛矣。雖東岱五嶽之長,足以勒崇垂鴻,與山石無極,伊太華最為難上,至於封禪之事,獨軒轅氏得之。夫七十二君,罕能兼之矣。其餘或蹶?風雨,碑版祠廟,終麼?不足追數。今聖主功格軒轅氏,業纂,七十君,風雨所及,日月所照,莫不砥礪。華近甸也,其可?乎?比?鴻生巨儒之徒,誦古史、引時義云:國家土コ,與?帝合;主上本命,與金天合。而守闕者亦百數,天子寢不報,蓋謙如也。頃或詔厥郡國,掃除曾顛,雖翠蓋可薄乎蒼穹,而銀字未藏於金氣。臣甫誠薄劣,不勝區區吟詠之極,故作《封西嶽賦》以勸。賦之義,豫述上將展禮焚柴者,實覬聖意因有感焉。為其詞曰:

維時孟冬,百工乃休,上將陟西嶽;覽八荒,禦白帝之都,見金天之王。既刊石乎岱宗,又合符乎軒皇。茲事體大,越不可載已。先是禮官草具其儀,各有典司;俯葉吉日,欽若神祇。而千乘萬騎,已蠖略?似,屈矯陸離,唯君所之。然後拭翠鳳之駕,開日月之旗;撞鴻鍾,發雷輜。辨格澤之修竿,決河漢之淋漓;\天狼之威弧,墜魍魎之霏霏。赤鬆前驅,彭祖後馳;方明夾轂,昌寓侍衣。山靈秉鉞而踉?,海若護蹕而參差;風馭冉以縱雙,雲?縒而遲?。地軸軋軋,殷以下折;原隰草木,儼而東飛。岐梁閃倏,渭反覆;而天府載萬侯之玉,尚方具左纛?屋,已焜煌於山足矣。乘輿尚鳴鑾和,儲精澹慮;華蓋之大角低回,北斗之七星皆去。屆蒼山而信宿,屯?壁之清曙。既臻夫陰宮,犀象?兀,戈???,飄飄蕭蕭,洶洶如也。於是太一抱式,元冥司直。天子乃宿祓齋,就登陟;駢素?,超??。天語秘而不可知,代欲聞而不可得。柴燎上達,神光充塞;泥金乎??之南,刻石乎青冥之北。上意由是茫然,延降天老,與之相識;問太微之所居,稽上帝之遺則。颯弭節以徘徊,撫八?而?K;忽風翻而景倒,澹殊?而異色;冏若??開帷,下辨宸極者。久之,雲氣蓊以回復,山??而未息。祀事孔明,有嚴有翼;神保是格,時萬時億。爾乃駐飛龍之秋秋,詔王屬以中休;覲群後於高掌之下,張大樂於洪河之洲。芬樹羽林,莽不可收;千人舞,萬人謳。麒麟??而在郊;鳳凰蔚跋而來遊,雷公伐鼓而揮汗,地祇被震而悲愁。樂師拊石而具,發激越乎陬;群山為之相峽,萬穴為之倒流,又不可得載已。久而景移樂?,上悠然垂思曰:「嗟乎!餘昔?封泰山,禪梁父;以為王者成功,已纂終古。?覽前史,至於周穆、漢武;豫遊寥闊,亦所不取。惟此西嶽,作鎮三輔,非無意乎?頃者猶恐百姓不足,人所疾苦;未暇痊斯玉帛,考乃鍾鼓。是以視嶽於諸侯,錫神以茅土。豈惟壯設險於甸服,報西成之農扈,亦所以感一念之精靈,答應時之風雨者矣?今茲塚宰庶尹,醇儒碩生僉曰:「?帝、??,乘龍遊乎四海,發?匝乎六合。竹帛有雲。得非古之聖君,而泰華最為難上,故封禪之事,鬱沒罕聞?以餘在位,發祥?祉者,焉可勝紀,而不得已,遂建翠華之旗,用塞雲台之義。矧乎殊方奔走,萬國皆至,元元從助,清廟歔欷也。」臣甫舞手蹈足曰:「大哉爍乎!真天子之表,奉天為子者已。不然,何數千萬載獨繼軒轅氏之美?彼七十二君又疇能臻此?蓋知明主聖罔不克正,功罔不克成,放百靈,歸華清。」














1. 5  越人獻馴象賦(以辭林邑望國門為韻)

倬彼馴象。毛群所推,特稟靈於荒徼。思入貢於昌期,豈不以獻我令辰。自林邑而來者。稽之舊史。在成康而紀之。一則識王者之無外。一則見遐方之不遺,苟形環之足偉。孰路遠之雲辭,於是出豐草。去長林。殊狒狒之被格。異猩猩之就擒。資エ容也,故獸伏我力。和其性也,故人知我心作蠻方之貢。為上國之?,萬國標奇。名已馳于魏闕;千年表慶。價實越于南金,況乘之便習。或訛或立。動高足以巍峨。引修鼻而?吸。塵隨蹤而忽起。水將飲而回入,牙櫛比而木參木參眼星翻而??,中?雖勇。力不能加。蒼舒信奇。知之莫及,服我後之p棧。光有唐之城邑,驅之則百獸風馳。玩之則萬夫雲集,故其威容足尚。筋力殊壯。輪?而重若旄邱。贔而高如巨防,執燧奔戰。牽鉤委?。遇之者或驚駭而反行。覘之者或披靡而遙望,何斯象之剛克。兼美義之不?。懼有齒而焚?。故全身而利國,縱使牛能任重。馬有報コ。徒久困於輪轅。又?傷於銜勒。豈如我?自遠藩。來朝至尊,辭桂林之小郡。入?闔之通門。負名聞之藉藉。守馴擾以存誠,幸投之於芻槁。豈敢昧於君恩。

















1. 6  雕賦

當九秋之淒清,見一鶚之直上;以雄才為己任,殺氣而獨往。梢梢勁?,肅肅逸響;杳不可追,俊無留賞。彼何?之性命,碎今日之指掌;伊鷙鳥之累百,敢同年而爭長。此G之大略也。若乃虞人之所得也,必以氣稟元冥,陰乘甲子;河海蕩?,風雲亂起;雪沍山陰,冰纏樹死。迷向背於八極,?飛走於萬里。朝無所充腸,夕違其所止;頗愁呼而??,信求食而依倚。用此時而?杙,待弋者而綱紀;表狎羽而潛窺,順雄姿之所擬。捷來於森木,固先係於利觜;解騰攫而竦神,開網羅而有喜。獻禽之課,數備而已。及乎?隸受之也,則擇其清質,列在周垣;揮拘攣之掣曳,挫豪梗之飛翻。識畋遊之所使,登馬上而孤騫。然後綴以珠飾,呈於至尊;摶風槍桑,用壯旌門。乘輿或幸別館,獵平原;寒蕪空闊,霜仗喧繁。觀其夾翠華而上下,卷毛血之崩奔;隨意氣而電落,引塵沙而晝?;豁堵牆之榮觀,棄功效而不論。斯亦足重也。至如千年?狐,三窟狡兔;恃古塚之荊棘,飽荒城之霜露。回惑我往來,??我場圃。雖有青?載角,白鼻如瓠;蹙奔蹄而俯臨,飛迅翼而遐寓。而料全於果,見迫寧遽;?攬之而穎?,便有若於神助。是以曉哮其音,颯爽其慮;續下?而繚繞,尚投跡而容與。奮威逐北,施巧無據;方蹉 ?而就擒,亦造次而難去。一奇卒獲,百勝昭著;夙昔多端,蕭條何處。斯又足稱也。

爾其?鵠??之倫,莫益於物,空生此身。聯拳拾穗,長大如人;肉多奚有,味乃不珍。輕鷹隼而自若,托鴻鵠而為鄰。彼壯夫之慷慨,假強敵而逡巡;拉先鳴之異者,及將起而?臻。忽隔天路,終辭水濱,寧掩群而盡取,且快意而驚新。此又一時之俊也。夫其降精於金,立骨如鐵;目通於腦,筋入於節。架軒楹之上,純漆光芒;掣梁棟之間,寒風凜冽。雖趾?千變,林嶺萬穴;?叢薄之不開,突??而皆折,此又有觸邪之義也。久而服勤,是可呀畏。必使烏攫之黨,罷鈔盜而潛飛;梟怪之群想英靈而遽墜。豈比乎??陳其力,叨竊其位,等摩天而自安,與搶?而無事者矣?故不見其用也。則晨飛?壑,暮起長汀;來雖自負,去若無形。置?截?,養子青冥。倏爾年?,茫然闕庭;莫試鉤爪,空回鬥星。?雛儻割鮮於金殿,此鳥已將老於巖?。














1. 7  天狗賦(並序)

天寶中,上冬幸華清宮。甫因至獸坊,怪天狗院列在諸獸院之上。胡人云:此其獸猛捷,無與比者。甫壯而賦之,尚恨其與凡獸相近。其詞曰:

瞻華清之??漠漠,而山殿戌削,縹焉天風,崛乎回薄。上揚雲?兮下列猛獸。夫何天狗??兮,所獨神秀;色似?猊,小如猿??忽不樂雖萬夫不敢前兮,非胡人焉能知其去就?向若鐵柱欹而金鎖斷兮,事未可救;瞥流沙而歸月窟兮,斯豈逾書?日食君之鮮肥兮,性剛簡而清?,敏於一擲。威解兩鬥;終無自私,必不?透。常觀乎副君暇豫,奉命於畋;則蚩尤之倫,已?渭戟。提挈邱陵,與南山周旋;而慢圍者戮,實禽有所空。伊鷹隼之不制兮,?犬豹以相纏;蹙乾坤之翕習兮,望麋鹿而飄然。由是天狗捷來,發自於左,頓六軍之蒼?兮,劈萬馬以超過。材官未及唱,野虞未及和。冏?矢與流星兮,圍要害而?破;?千蹄之並集兮,始拗怒以相賀。真雄姿之自異兮,已?塊而高臥;不愛力以許人兮,能?等以為大。既而群有啖咋,勢爭割據,垂小亡而大傷兮;翻投跡以來預,劃雷殷而有聲兮,紛膽破而何遽。似爪牙之便禿兮,無魂魄以自助。各弭耳低徊,閉目而去。??天子騎白日,禦東山;百獸?蹌以皆從兮,四猛i銛?乎其間。夫靈物固不合多兮,胡役役隨此輩而往還?惟昔西域之遠致兮,聖人為之豁迎風,?露寒;體蒼?,軋金盤。初一顧而雄材稱是兮,召群公與之?觀;宜其立?闔而吼紫微兮,卻妖?而不得上幹。時駐君之玉輦兮,近奉君之渥歡。使奧處而誰何兮,備周垣而辛酸?彼用事之意然兮,匪至尊之賞闌;仰千門之崚?兮,覺行路之艱難。懼精爽之衰落兮,驚?月之忽殫;顧同儕之甚少兮,混非類以摧殘。偶快意於校獵兮,尤見疑於?捷。此乃獨?受之於天兮,孰知群材之所不接?且置身之暴露兮,遭縱觀之稠疊。俗眼空多,生涯未?;吾君?憶耳尖之有長毛兮,寧久被斯人終日馴狎已?











1. 8  乾元元年華州試進士策問五首

問:古之山林藪澤之地,各以肥磽多少為差。故供甲兵士徒之役,府庫賜與之用,給郊廟宗社之祀,奉養祿食之出,辨乎名物,存乎有司,是謂公賦知歸、地著不撓者已。今聖朝紹宣王中興之洪業於上,庶尹備山甫補袞之能事於下,而東寇猶小梗,率土未甚辟,總彼賦?之獲,盡贍軍旅之用,是官禦之舊典闕矣。人神之攸序乖矣;欲使軍旅足食,則賦?未能充備矣。欲將誅求不時,則黎元轉罹於疾苦矣,子等以待問之實,知新之明,觀志氣之所存,於應對乎何有,佇?救敝之通術,願聞強學之所措,意蓋在此矣,得遊?乎?

問:國有?車,廬有飲食,古之按風俗、遣使臣,在王官之一守,得馳傳而分命。蓋地有要害,郊有遠近,供給之比,省費相懸。今茲華惟襟帶,關逼輦轂,行人受辭於朝夕,使者相望於道路,屬年?無蓄積之虞,職司有愁痛之歎。況軍書未?,王命急宣,插羽先?於騰鷹,敝帷不供於埋馬,豈芻粟之勤獨爾,實驂?之價闕如。人主之軫念,?及於茲;邦伯之分憂,何?敢怠?乞恩難再,近日已降水衡之錢;積骨頗多,無暇更入燕王之市。欲使軒有喜,主客合宜,閭閻罷杼軸之嗟,官吏得從容之計,側佇嘉論,當聞濟時。

問:通道陂澤,隨山濬川,經?之理,疏奠之術,抑有可觀,其來尚矣。初聖人盡力溝洫,有國作為?防,?後代控引淮海,漕通渭,因舟楫之利,達倉?之儲。又ョ此而殷,亦行之自久。近者有司相土,決彼支渠,既潰渭而亂河,竟功多而事寢。人實勞止,岸乃善崩。遂使委輸之勤,中道而棄。今軍用蓋寡,國儲未贍,雖遠方之粟大來,而助挽之車不給。是以國朝仗彼天使,?茲水工,議下淇園之竹,更鑿商顏之井。又恐煩費居多,績用莫立,空荷成雲之?,復擁填淤之泥。若然,則舟車之用,大小相妨矣;軍國之食,轉致或闕矣。矧夫人煙尚稀,牛力不足者已。子等飽隨時之要,挺賓王之資,副乎求賢,敷厥?議。

問:足食足兵,先哲雅誥,蓋有兵無食,是謂棄之。致能掉鞅,靡旌,斯可用矣。況寇猶作梗,兵不可去,日聞將軍之令,親睹司馬之法。關中之卒未息,?上之營何遠?近者鄭南訓練,城下屯集,瞻彼三千之徒,有異什一而?。竊見明發教以戰鬥,亭午放其庸保,課乃菽麥,以為尋常。夫ス以使人,是能用古,伊?則雲暮,實慮休止,未卜及瓜之還,交比翳桑之餓。群有司自救不暇,二三子謂之何哉?

問:昔唐堯之為君也,則天之大,敬授人時,十六升自唐侯者已;昔帝舜之為臣也,舉禹之功,克平水土,三十登為天子者已。本之以文思聰明,加之以勞身焦思,既睦九族,協和萬邦,黜去四凶,舉十六相,故五帝之後,傳載唐虞之美,無コ而稱焉。《易》曰:「君子終日乾乾。」《詩》曰:「文王小心翼翼。」竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。主上躬純孝之聖,樹非常之功,?則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,伊百姓不知帝力、庶官但恭。已而已。寇?未平,咎?之至數也;倉廩未實,物理之固然也。今大軍虎?,列國鶴立,山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。二三子議論宏正,詞氣高雅,則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。雖遭明主,必致之於堯舜;降及元輔,必要之於稷?。驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。自古哲王立極,大臣為體,眇然坦途,利往何順,子有?否?庶復見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?頃之問孝秀,取備尋常之對,多忽經濟之體,考諸詞學,自有文章在,策以?事,曷成凡例焉?今愚之粗?,貴切時務而已。夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。代復改鑄,或行乎前?莢、後契刀。當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。下至十室之邑,必有千鍾之藏。苟凶穰以之,貴賤失度,雖封丞相而猶困,侯大農而謂何?是以繼?表微,無或區分逾越,蒙實不敏,仁遠何哉?















1. 9  進三大禮賦表

臣甫言:臣生長陛下淳樸之俗,行四十載矣。與麋鹿同群而處,浪跡於陛下豐草長林,實自弱冠之年矣。豈九州牧伯不?貢豪俊於外?豈陛下明詔不仄席思賢於中哉?臣之愚頑,靜無所取,以此知分,沈埋盛時,不敢依違,不敢激?,默以漁樵之樂,自遣而已。頃者賣藥都市,寄食朋友,竊慕堯翁?壞之謳,適遇國家郊廟之禮,不覺手足蹈舞,形於篇章。漱吮甘液,遊泳和氣,聲韻寢廣,卷軸斯存,抑亦古詩之流,希乎述者之意。然詞理野質,終不足以拂天聽之崇高,配史籍以永久,恐倏先狗馬,遺恨九原。謹稽首投延恩?,獻納上表,進明主《朝獻太清宮》、《朝享太廟》、《有事於南郊》等三賦以聞。臣甫誠惶誠恐頓首頓首,謹言。














1.10  進封西嶽賦表

臣甫言:臣本杜陵諸生,年過四十,經術淺陋,進無補於明時,退常困於衣食,蓋長安一匹夫耳。頃?國家有事於郊廟,幸得奏賦,待制於集賢,委學官試文章,再降恩澤,仍猥以臣名實相副,送隸有司,參列選序。然臣之本分,甘棄置永休,望不及此,豈意頭白之後,竟以短篇隻字,遂曾聞徹宸極,一動人主,是臣無負於少小多病貧窮好學者已。在臣光榮,雖死萬足,至於仕進,非敢望也。日夜憂迫,復未知何以上答聖慈,明臣子之效?況臣常有肺氣之疾,恐忽復先草露、塗糞土,而所懷冥寞,孤負皇恩。敢?竭憤懣,領略丕則,作《封西嶽賦》一首以勸,所覬明主覽而留意焉。先是禦制西嶽碑文之卒章曰:「待餘安人治國,然後徐思其事。」此蓋陛下之至謙也。今茲人安是已,今茲國富是已,況符瑞翕集,福應交至,何翠華之脈脈乎?維嶽固陛下本命,以永嗣業;維嶽授陛下元弼,克生司空。斯又不可以寢已,伏惟天子霈然留意焉。春將披圖視典,冬乃展采錯事,日尚浩闊,人匪勞止,庶可試哉。微臣不任區區懇到之極,謹詣延恩?獻納,奉表進賦以聞。臣甫誠惶誠恐頓首頓首,謹言。













1.11  進雕賦表

臣甫言:臣之近代陵夷,公侯之貴磨滅,鼎銘之勳,不復照耀於明時。自先君恕、預以降,奉儒守官,未墜素業矣。亡祖故尚書膳部員外郎先臣審言,修文於中宗之朝,高視於藏書之府,故天下學士,到於今而師之。臣幸ョ先臣緒業,自七?所綴詩筆,向四十載矣,約千有餘篇。今賈、馬之徒,得排金門、上玉堂者甚?矣。惟臣衣不蓋體,常寄食於人,奔走不暇,隻恐轉死溝壑,安敢望仕進乎?伏惟明主哀憐之。?使執先祖之故事,拔泥塗之久辱,則臣之述作,雖不足以鼓吹六經,先鳴數子,至於沈鬱頓挫、隨時敏捷,而揚雄、枚皋之流,庶可跋及也。有臣如此,陛下其舍諸?伏惟明主哀憐之,無令役役便至於衰老也。臣甫誠惶誠恐,頓首頓首,死罪死罪。臣以為雕者,鷙鳥之殊特,搏?而不可當,豈但壯觀於旌門,發狂於原隰?引以為類,是大臣正色立朝之義也。臣竊重其有英雄之姿,故作此賦,實望以此達於聖聰耳。不揆蕪淺,謹投延恩?進表獻賦以聞,謹言。














1.12  為?府柏都督謝上表

臣某言:伏奉今月某日制,授臣某官。臣某祗拜休命,?顧殞越,策駑馬之力,冒累踐之寵。自數勳力,萬無一稱,再三?タ,流汗至踵。謹以某月日到任上訖。臣某誠戰誠懼,頓首頓首,死罪死罪。伏惟陛下以君父任使之久,掩臣子不逮之過,就其小效,復分深憂。察臣劍南區區,恐失臣節如彼;加臣頻煩階級,鎮守要衝如此。勉勵疲鈍,伏揚陛下之聖コ,愛惜陛下之百姓,先之以簡易,閑之以樂業,均之以賦斂,終之以敦勸,然後畢禁將士之暴,宏洽主客之宜,示以刑典難犯之科,ェ以困窮計無所出。哀今之人,庶古之道,?救?獨,外攘師寇。上報君父,曲盡庸拙之分;下循臣子,勤補失墜之目。灰粉骸骨,以備守官。伏惟恩慈,胡忍容易,愚臣之願也,明主之望也。限以所領,未遑謁對,無任兢灼之極,謹遣某官奉表馳謝以聞。臣誠喜誠懼,死罪死罪。
















1.13  為?州,王使君進論巴蜀安危表

臣某言:伏自陛下平山東,收燕薊,?海隅萬里,百姓感動,喜王業再康,瘡?蘇息,陛下明聖,社稷之靈,以至於此。然河南河北,貢賦未入;江淮轉輸,異於曩時。惟獨劍南自用兵以來,?斂則殷,部領不?。瓊林諸庫,仰給最多。是蜀之土地膏腴,物?繁富,足以供王命也。近者賊臣惡子,頻有亂常,巴蜀之人,被煩費,猶相勸勉,充備百役,不敢怨嗟。吐蕃今下鬆、維等州,成都已不安矣。楊琳師再脅普合,禺禺兩川,不得相救,百姓騷動,未知所裁。況臣本州,山南所管,初置節度,庶事草創,豈暇力及東西兩川矣?伏願陛下聽政之餘,料巴蜀之理亂,審救援之得失,定兩川之異同,問分管之可否,度長計大,速以親賢出鎮,哀罷人以安反仄。犬戎侵軼,群盜窺伺,庶可遏矣。而三蜀天府也,?取萬計,陛下忍坐見其狼狽哉?不即為之,臣竊恐蠻夷得恣屠割耳,實為陛下有所痛惜。必以親王委之節鉞,此古之維城磐石之計明矣,陛下何疑哉?在近擇親賢,加以醇厚明哲之老,為之師傅,則萬無覆敗之跡,又何疑焉?其次付重臣舊コ,智略經久,舉事允?,不隕獲於蒼?之際,臨危制變之明者,觀其樹勳庸於當時,扶泥塗於已墜,整頓理體,竭露臣節,必見方?小康也。今梁州既置節度,與成都足以久遠相應矣。東川更分管數州於?,幕府取給,破滋甚,若兵馬悉付西川,梁州益坦為聲援,是重斂之下,免至多門,西南之人,有活望矣。必以戰伐未息,勢資多軍,應須遣朝廷任使舊人,授之使節,留後之寄,綿??時,非所以塞?望也。臣於所守封界,連接梓州,正可為成都東鄙,其中別作法度,亦不足成要害哉!徒擾人矣,伏惟明主裁之。又天下?收,赦文減省軍用外,諸色雜賦名目,伏願損之又損之,劍南諸州,亦困而復振矣。將相之任,?外交遷,西川分壺,以仗賢俊,愚臣特望以親王總戎者,意在根固流長,國家萬代之利也,敢輕易而言。次請慎擇重臣,亦願任使舊人,鎮撫不缺。借如犬戎俶擾,臣素知之。臣之兄承訓,自沒蕃以來,長望生還,偽親信於讚普,探其深意,意者報復摩彌青海之役決矣。同謀誓?於前後沒落之徒,曲成翻動,陰合應接,積有?時。?漢使回、蕃使至,帛書隱語,累?懇論。臣皆進封上聞,?達臣兄承訓憂國家?邊之急,願亦勤矣。況臣本隨兄在蜀,向二十年,兄既辱身蠻夷,相見無日,臣比未忍離蜀者,望兄消息時通,所以戮力邊隅,累踐班秩,補拙之分淺,待罪之日深,蜀之安危,敢竭聞見。臣子之義,貴有所盡於君親。愚臣迂闊之?,萬一少裨聖慮,遠人之福也,愚臣之幸也。昨竊聞諸道路,雲吐蕃已來,草竊岐隴,逼近咸陽。似是之間,憂憤隕迫,益搦r祿寄重之懼,寤寐報效之懇。謹冒死具巴蜀成敗形勢,奉表以聞。